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タピスタの生みの親! 辻愛沙子さんが「学生社員」になったきっかけとは!?

11/15(金) 6:01配信

magacol

2017年のお台場ウォーターパークの空間演出に始まり、RingoRingやTapistaのプロデュースなど、若きヒットメーカーとしてメディア露出が増えている辻さん。
多くのヒット企画を生み出している辻さんが、学生社員として働きはじめたきっかけを聞きました。

「誰か早く、私を見つけてくれ! 」って 思いを抱いて、頑張っているコが 同世代にはたくさんいると思うんです

1995年生まれ。東京都出身。中高時代をイギリス、スイス、アメリカで過ごし、大学入学を機に帰国。慶應義塾大学環境情報学部在学中に、学生社員として株式会社エードットに入社。独自の世界観の表現を通じて、F0・F1層向け(10~20代女性)を中心に、様々な分野での企画とデザインを手掛けている。

―辻さんの経歴で驚いたのが、小学6年生のときに自ら留学先を探して、実際に14歳で渡欧したというお話でした。そこまで思い切った決断ができた理由が知りたかったんです。

その当時は、単純な好奇心だと思います。小学校は幼稚園から大学まで続く一貫校に通っていて、よく言えば「温かい」、悪く言うと「生温い」環境で育ってきました。元々好奇心旺盛なタイプだったのですが、学校に通っていて新しいものを吸収する感覚がほとんどなくて。

両親が共働きだったこともあって、留守番をしながらひとりで考え事をする時間が多かったのですが、そういう時間に沸々と考え始めたのがきっかけです。今考えると、私たちの世代って 「誰か早く、私を見つけてくれ!」って思いを抱いて、何かに頑張っている同世代のコがたくさんいると思うんです。ジャスティン・ビーバーとYouTubeみたいに。

どんな分野で頑張るのかもわかっていなかったけど、そういうことを中学生ながら求めていたんだと思います。あの頃は「誰か早く」ってすごく思っていて、焦燥感という言葉では言い表せない葛藤みたいなものがあった気がしますね。

それと、一貫校だと接する人がなかなか変わらないのでどんどん自分の世界が狭まるのに気がついて、単純に新しい世界を見たいなと。アクセルを踏む瞬間までは意外とビビりなんですけど、「ここ!」って思ったところでは躊躇なく踏めちゃうのが私なのかもしれません…。

―そういう「何者かになりたい」みたいな意識が、辻さんの中に芽生えたのはいつ頃ですか?

ぼんやりとそういう感情が出てきたのは、留学を考え始めた頃です。幼い時から集団行動が得意な方ではなくて、宿題の質問文自体に疑問を感じるコだったんです。もし自分が頑張ることで何かを伝えられるポジションにいけたとしたら、同じように生き辛さを抱えている人とか、同じ思いを持っている人と繋がれるかもしれないという感覚が強くて。

それが、「何者かになりたい」って気持ちに繋がったんだと思います。いざ海外に行ってみると、最初の留学先のイギリスは英語を学ぶことで精一杯で。スイスではカルチャーを学んで、そこで今の自分のルーツになっている価値観みたいなものが構築されました。ただそのときはクリエイティブディレクターという職種も知らなかったし、アーティストになりたいとも思っていなかったです。

「何かを作りたい、自分の中にあるものを表現したい」というすごく漠然としたもので、その「何か」もわからず、早くそれを見つけて、実現する技術を得たいっていう焦りは、大学に入ってからもずっと続いていました。

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最終更新:11/15(金) 6:01
magacol

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