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知れば知るほど欲しくなるMINIの魔力

11/15(金) 7:03配信

LEON.JP

自動車ジャーナリストのレジェンド岡崎宏司氏が綴る、人気エッセイ「クルマ備忘録」。日本のモータリゼーションの黎明期から、現在まで縦横無尽に語り尽くします。今回は、知れば知るほど欲しくなるMINIの魔力について語ります。

ミニの誕生は1959年。雑誌を見ただけで「!」すごいと思った。スバル360よりほんの一回りほど大きいだけなのに、水冷4気筒エンジンをフロントに積んで、大人4人が乗れるなんて……。

でも、、驚きはしたものの、それ以上の感情は湧いてこなかった。「カッコいい!」とも、「ほしい!」とも思わなかった。

そんな感情を徐々に変えていったのは、英国から送られてくるミニ関連ニュース。

ファッション・アイテムとして、知的アイテムとして、有名人やお金持ちに続々とミニファンが増えているといったニュースだ。

「ロールスロイス・オーナーのセカンドカーはミニ」という雑誌の特集も衝撃だった。

中でも、ズシンときたのは、エリザベス女王とビートルズのポール・マッカートニーがミニのオーナーになったこと。心穏やかではいられなかった。

そして、さらにミニはすごいことをやってのけた。1964、1965年、1967年のモンテカルロ・ラリーを制覇したのだ。

兄がポルシェ356Cを手放して「買う!」と言い出して

こうした流れの中で、日本でもミニは一気にブレーク。とくに1275ccのエンジンを積んだクーパーSは、多くのクルマ好きのアイドルになった。

僕ももちろん好きだったし、ほしかった。でも、ずっと憧れていたMGAをやっと手に入れ、次はMGBへステップアップを狙う、、そんなタイミングと重なったので、それほど心を痛めることなくあきらめることができた。

ところが、兄が「買う!」と言い出した。しかも、ポルシェ356Cを手放して……。

浮気性を認める僕もこれには驚いたし反対もした。でも、「どうしても買う!」と。

ま、今でこそ、「356Cを手放してまでどうして!?」ということになるが、当時は「3年乗ったからいいよ、、」みたいな感じはあったのかもしれない。

兄がオーダーした1275 クーパーS はルーフが白、ボディが赤の2トーン。モンテカルロの王者が纏ったカラーリング。当然だろう。

……クーパーSはヤンチャだった! それもハンパじゃない。FWDと10インチ・タイヤ、そしてハイパワーのコンビネーションを考えれば当然のことと納得はできるが……。

発進で下手にアクセルを踏み込むと、前輪は簡単に悲鳴をあげ、空転し、暴れる。

コーナーでも下手に踏めば強烈なアンダーに見舞われ、そこでうかつにアクセルを戻すとリア内輪が浮き上がる。サーキット・レベルの激しい攻めになると転倒もある。

1965年にスタートした船橋サーキットはタイトでトリッキーなコースレイアウトだったが、ここではクーパーSの3輪走行がよく見られたし、転倒も見られた。

スリリングではあったが、上手く操れば速く走れる。運転しがいのあるクルマだった。

僕はクーパーS以前に、スバル360やホンダ N360での3輪走行経験がけっこうあったので、「ケンケン走り?」の勘どころは掴んでいた。

その頃のわが家はクルマ好きの集合場所的になっていて、連日連夜、兄や僕の走り仲間が集まっていた。その中に兄を含めて3人の1275クーパーS・オーナーがいた。

3人とも発売直後に買った人たち。内2人、つまり兄以外はレースに出て、一人は船橋で派手な転倒劇を演じた。そんなこともあって、しばらく、わが家はクーパーSの話しで盛り上がりっぱなしだった。

初代(BMCミニ)は2000年まで生産されたが、日本ではモデル晩年まで、人気が大きく落ちることはなく、主要市場であり続けた。

初代のモチーフをしっかり受け継ぎながら、BMWグループの「プレミアム・スモール」として生まれ変わった2代目(BMWミニ)も魅力たっぷり。見事な変身だった。

「プレミアム」化への強い意識は、クルマ造りだけでなく、市場とのコミュニケーション手法にもはっきり示された。

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最終更新:11/15(金) 13:01
LEON.JP

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