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五輪マラソンの札幌移転 IOCが「高飛車」だった歴史的背景

11/16(土) 9:26配信

日刊ゲンダイDIGITAL

武田薫【スポーツ時々放談】

 東京オリンピックのマラソンコースが札幌に移った騒動で、何となくしらけてしまった。小池都知事をはじめ多くの人はその手続きにプリプリ怒り、“上から目線”だ“高飛車”だと苛立った。なぜ高飛車だったのか――。

■陸上競技ではない

 5日に開かれた日本陸連強化委員会の会見で、瀬古利彦リーダーの言葉が印象的だった。

「このままではマラソンがオリンピックから外されると思った」――。これは世界を走った日本のエースならではの実感なのだ。

 瀬古の全盛期の80年代、ヨーロッパのほとんどの指導者は「マラソンは陸上競技ではない」と言い切っていた。それには背景がある。

 競歩とマラソンの起源は室内観戦競技だった。1860年、負けた方がアメリカのボストンからワシントンまでの478マイル(770キロ)を10日間で歩くという賭けが行われた。これがペデストリアニズム(徒歩競走)の始まりで、何が面白かったのか、ニューヨークの屋内スケートリンクで催される6日間レースは常に満員で寝泊まりする客もいた。歩いても走ってもよく、歩く方が長い距離をカバーできたようだ。

 現在はボクシングやNBAが行われるマジソン・スクエア・ガーデンは徒歩競走の会場で、海を渡ってイギリスでも行われた。ボストンマラソンで2度優勝した日本女性、ゴーマン美智子はデビュー大会で1周150メートルの室内トラックを21時間で1076周している。

■持久力を着そう賭け

 ブームは19世紀末に台頭したメジャーリーグとアテネ五輪でのマラソン登場で下火になり、ルールを洗いながら競歩として発展した。

 徒歩競走は距離=持久力を競う賭けだった。そして労働者階級の出自だった点でもマラソンは陸上競技のアマチュアリズムと一線を画した。今回にしろ、IOC以前に国際陸連そのものにマラソンに馴染まない側面があり、廃止論も決して消えてはいない。マラソンの記録を公認するのはつい2004年のことだ。こうした流れが日本のマラソンと相いれない……。

 金栗四三の功績はもっぱら戦後で、戦前はほぼ無視された。主宰する全国マラソン連盟が〈世界躍進〉を旗印にボストンに選手を派遣。1951年の田中茂樹を皮切りに山田敬蔵、浜村秀雄が次々に勝って敗戦からの復興に活力を与えた。その後も重松森雄、君原健二、采谷義秋……。ボストンマラソンの当時の参加者は200人足らずだったが、日本にとってマラソンは、世界への懸け橋であり、賭けではなかった――この温度差が高飛車という印象に結びつくのではないか。

 瀬古リーダーはもうひとついいことを言った。

「私はここから切り替えます。きょうから札幌、札幌、札幌ラーメン」

 どんな条件でも、与えられたゴールに挑むのがマラソンランナーの宿命だ。だからこそ、最大限の配慮が必要なのだ。リーダー以下、日本のマラソンを示す気概で札幌開催に取り組んでほしい。

(武田薫/スポーツライター)

最終更新:11/16(土) 9:26
日刊ゲンダイDIGITAL

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