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志水祐介「集大成見せる」 長く曲がりくねった水球人生

11/16(土) 11:05配信

スポーツ報知

 過酷さという意味で、水球は五輪競技でトップランクであろう。試合中、地面に足もつけないし、水面下では“反則上等”のせめぎ合い。一方で、サッカーなどと同じように、スペースを察知する空間把握能力も求められる。水中の格闘技という異名で知られるが、生で接すると、より奥行きのあるスポーツであることがよく分かる。

 その水球に深く魅せられた男がいる。日本代表のフローター・志水祐介は「水球自体が人生」と言ってはばからない。フローターとは相手のゴール前でパスを受け取りシュートする、バスケットで言えばセンターの役割である。

 日本男子が32年ぶりに出場したリオ五輪では、主将の大役を務めた。口ひげがよく似合う温厚そうな顔立ちに、分厚い胸板。年下ではあるが「志水さん」と自然に呼びたくなる、頼りがいある風貌。しかし、多くの水球選手がそうであるように、彼も苦難の多い競技生活を送ってきた。

 12年のロンドン五輪では予選で夢が絶たれた。「これだけやって出られないのか。五輪は厳しいのかな」。直後に新潟で中学の体育講師になった。「子どもたちに、“夢は一生懸命頑張って、努力し続けないと叶わない”と言い続けているうち、自分は達成できたのか、と」。中学生に語りかけているつもりが、いつしか自分に問いかけていた。1年で学校は辞め、プールに戻った。

 リオから1年後の17年10月。今度は試合中に左肩の腱板断裂の重傷を負う。利き腕だった。即座に手術し、長い長いリハビリに入った。肉体的にも曲がり角の年齢でもあった。「志水は引退だね」「まだやってんの」。そんな心ない声も耳に入った。大会を観戦しに行き、途中で帰ってしまったこともある。「悔しくて…。俺はいない方がいい」。その夜は苦い酒を飲んだ。

 辞めることばかり考えていたときに、代表の大本洋嗣監督の言葉が支えになった。「治して戻ってこい。お前は大事な存在なんだから」。そんなシンプルな言い方が、ギリギリで心をつなぎ止めた。

 今、31歳。いつしか代表では最年長になった。主将は後輩に譲った。肩は万全ではないが、精神的支柱として最前線で体を張る。「東京五輪が最後の水球人生。集大成を見せたい」。その一心で、きょうもまた、過酷な戦いの場に身を投じる。

 ◆太田 倫(おおた・りん)1977年10月6日、青森県生まれ。42歳。横浜市立大から2000年入社。プロ野球などを担当し、18年からは五輪取材班へ。主に競泳、スケートボードなどを担当。

最終更新:11/18(月) 4:48
スポーツ報知

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