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ヤクルト1位・奥川恭伸 佐々木朗希の163kmで自分を見失った1カ月

11/17(日) 9:26配信

日刊ゲンダイDIGITAL

【19年ドラフト選手の“家庭の事情”】#6

 奥川恭伸(ヤクルト1位)

 ◇  ◇  ◇

「よく泣いていました」

 こう話すのは、奥川恭伸が宇ノ気小学校2年生のときから所属していた「宇ノ気ブルーサンダー」の広瀬勝巳代表(54)だ。

 今夏、甲子園を沸かせた奥川。決勝で履正社に敗れて準優勝に終わると、人目もはばからず涙を流した。その原点は10年前に遡る。

「野球に対する負けん気が強い子でしたね。今はニコニコしている姿が印象的ですが、入ってきた頃から4~5年生までは、打たれたときに態度に出す。感情が表に出やすい子だった。試合に負けて泣くこともよくありました。当然、1人で毎試合は投げられないので他の投手が投げる日もあったんですが、それが悔しくて態度に出したり、味方がエラーをすると腹を立てることもあった。初めは感情が表に出ていることに本人は気付いていなかったんですが、こちらがそれを教えていくと、『野球は1人では勝てないんだ』ということを徐々に理解するようになって、6年生のときには積極的に声を出すようになりましたね」

■元高校球児の父とシャドー練習

 一方で、大人の目を気にする一面も。

「とにかくよく食べる子で、好き嫌いもほとんどなく、苦手だったのは辛いものくらい。中華料理屋に連れていくとラーメンにチャーハン、餃子、唐揚げをたいらげても平気な顔をしていました。『もうお腹いっぱいか?』と聞くと、最初は『はい』と言うんです。でも、『本当に?』ともう一度聞くと、『まだ食べられます』と。周りのことを気にして、遠慮していたみたい。そういう空気を読める子でもありました」(広瀬代表)

 野球を始めたきっかけは7歳上の兄、圭崇さんの影響だった。4歳のとき、両親とともに兄が出場する試合を見に球場へ行くとグラブをはめてベンチ裏で黙々と壁当てを続けていた。広瀬代表によると、「お兄ちゃんは主にサードで、弟と同じく気の強い性格。でも、ボールの捕り方は全然違った。お兄ちゃんは根性で捕りに行くけど、弟は優しくカバーに入るタイプでした」。

 父の隆さんは奥川と同じ宇ノ気中出身。金沢市立工業高校野球部では主将を務めた。ポジションは二塁手だったという。

「お父さんはとても真面目で野球に対して厳しい方でした。基本的に技術的な指導はお任せいただいていましたが、練習時間内でピッチングフォームが直らないときは、ご自宅でタオルを使ったシャドーピッチングを見てもらうようにしていました」(広瀬代表)

 建築会社でサラリーマンとして働く隆さん。土日はいつも息子の応援に駆けつけていたという。
 

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最終更新:11/18(月) 17:29
日刊ゲンダイDIGITAL

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