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「父よ、お願いだから運転を諦めて」認知症の父と向き合った孤軍奮闘記【前編】

11/17(日) 12:00配信

婦人公論.jp

認知症の父が、毎日車で出かけていく。運転をやめさせたい。やめさせなければ。筆者は1年かけて闘った。(文=田中亜希子)

* * * * * * *

◆「何言ってるんだ。変なことを言うな」

母子が犠牲となった池袋暴走事件の後も、依然として高齢者の運転事故は絶えない。報道を聞くたび私の心臓はぎゅっと縮む。被害者を悼む気持ちとともに、認知症と診断されてもなお、運転を続けようとする父に悩まされた毎日。あの日々に自分が引き戻されてしまうからだ──。

同居する父が運転をやめたのは2017年末、82歳の時だ。本格的な説得を始めてから1年が経っていた。

一般に、「運転が危なっかしくなっている」「認知症かもしれない」と家族が気づく頃には、事態はかなり深刻になっていると言われる。わが家の場合もそうだった。

はじまりは、数年前からたびたび父の車に同乗している親戚に、「道がわからない時があるようだ」と言われたこと。それまでも父に「そろそろ運転はやめたら?」と言っていたが、いつも答えは「何言ってるんだ。変なことを言うな」。対処に悩むうちに、もう運転は無理では、と感じる出来事がたて続けに起こった。

16年末の父の兄の通夜でのこと。何時間も前に車で家を出た父が、大幅に遅れてきた。通夜の前に兄の家に寄ろうとしていたらしいが、目指す家はもうない。何十年も前に引っ越した家を探して、さまよっていたのだ。

不安を感じたまま迎えた正月、父は例年のように一人で車に乗り遠方へ初詣に出かけた。が、夕方になっても帰宅しない。携帯に何度電話しても出ない。いよいよ警察に電話しようとしたところに、電車を使って帰ってきた。

聞けば、タイヤに不具合が出たので人様の家の駐車場に車を置いてきたと、悪びれる様子もない。事故を起こすのは怖いが、慣れない町で何をしているのかわからないのも同じぐらい怖い。

翌日、戻ってきた車を点検して、愕然とした。そこには一度についたものではない、たくさんの傷があったからだ。後ろのライトはぶつかって割れたのを一時的にテープで留めてある。初めて父の身に起こっている現実を突きつけられ、私は決心した。一刻も早く運転をやめさせなければならない、と。

当初は自主返納してほしくて説得を試みたものの、困難を極めた。父は元教師でプライドが高いうえ、これまで無事故無違反で昔から運転に自信を持っていた。母が亡くなり、これといった趣味もない。車で出かけることが、唯一の気晴らしだった。

この頃から大事な話を忘れたり、私が捨てたごみを自室に持ち込むなどの行動が目立ってきたので、まずは認知症の検査をし、医師から説得してもらおうと考えた。

父は認知症と診断されるのが怖かったのだろう。健康診断をはじめ、あらゆる病院に行くことを拒んだ。かかりつけ医に相談しても、「本人が診察に来ないことには」と反応は鈍い。

家族や親戚に説得を頼むと、一度は応じてくれても、何度もお願いすると、「まだ平気なのに大げさな」という反応に変わる。同居している私とはいかんせん温度差があるのだ。父が日に何度も車で出かけていく気配を感じると、在宅で仕事をすることが多い私は生きた心地がしなかった。

◆医師の対応に大きく失望し

夏前になってようやく、妹の夫が同行して病院に行くことを了承。かかりつけ医は簡単な検査後、改めて市民病院の神経内科に受診の手配をしてくれた。

市民病院受診の日、これまでの父の症状と経緯、運転をやめるよう説得してほしい旨を手紙に書いて、義弟に託す。検査の結果はやはり認知症だったので、これでようやく運転を諦めてくれる、と安堵さえ覚えた。

が、義弟が録音してくれた診察の様子を聞いて、耳を疑った。若い女性医師が「私には権限がありませんが」と前置きしたうえで、「運転はおやめになったほうがいいと思います」と軽く言ったのだ。

父は「自分のことは自分が一番よくわかっているので、運転はやめません」と返し、そこでその話は終わっていた。最初に権限がないと前置きしたら、言うことを聞くはずがないではないか。

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最終更新:11/18(月) 14:15
婦人公論.jp

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