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かつての花街が治安最高な「のんびりタウン」と化すまでの数奇な運命について 荒川区・尾久【東京商店街リサーチ】

11/17(日) 19:30配信

アーバン ライフ メトロ

「あまりピンと来ない街」の実像に迫る

 今回取り上げる「商店街のある街」は、荒川区にある尾久地区です。

 東京都民であっても、この地名を聞いてもピンと来ない人が大多数のはず。仮に場所が分かったとしても、交通機関が都電荒川線くらいしかないというマイナーさから「王子と町屋の間にあるよく分からない街」という印象しか浮かばないのではないでしょうか。

【画像】庶民的下町に残る、「花街時代」の思わぬ痕跡とは?

 ちなみにJR線に尾久(おく)という駅が存在しますが、それはお隣の北区昭和町にある駅が地名を借りただけであって、ここでいう荒川区の尾久(おぐ)にある駅ではありません。

 この地元民じゃないといまいちピンと来ないであろう尾久という街は、実は昔ながらの立派な商店街アリ、優れた銭湯があちこちにアリ、何より面白すぎる歴史アリと、東京の下町の魅力が凝縮されたような土地なのです。

 今回は都電荒川線の小台、宮ノ前、熊野前という3つの停留所を中心に、尾久地区の魅力に迫ってみたいと思います。

「東京近郊の花街」として栄えた歴史

●立地と歴史

 尾久が小具郷(おぐのさと、おぐごう)と呼ばれていた時代(鎌倉~室町時代頃)には、王子や町屋の一部、東日暮里や根岸までも含んだ広大な土地だったといいます。

 それが時代の移り変わりとともにだんだんと削られていき、現在では北の隅田川と南の明治通り(都道306号線)に挟まれた、荒川区の西尾久・東尾久にその名を残すのみとなっています。

 尾久周辺の知名度の高い街としては、西に王子、東に町屋、南に日暮里、そして北には西新井がありますが、心なしかどの街もマイナー臭が漂っている気が……。

 それもそのはずで、もともと尾久は湿地や水田だらけの農村地帯であり、明治・大正の時代になって「東京近郊の遊興地」として栄えた土地だったのです。

 東京近郊ということは、東京とは見なされていないとも受け取れますから、今でいえば埼玉・山梨・千葉辺り、東京から日帰り可能な観光地といったイメージでしょうか。

 この一帯はあくまで別荘を持ったりレジャー目的で訪れたりする土地であって、東京の中心地ではなかったため、そのマイナーさが今の時代にも残ってしまったのだと考えられます。

●遊興地・三業地としての尾久 

「東京近郊の遊興地としての尾久」については、非常に面白い話があるため、この連載のコンセプトからは少々離れますが詳しく解説します。

 尾久地区のような「東京(江戸)のはずれにあった街」の多くは、明治~昭和初期の頃に旧東京市がどんどん膨張していくにつれて、農業以外の産業(主に工業)が生まれ交通機関が整備され、多くの人が移り住むようになったという歴史を持っています。

 尾久もそうして発展した側面もあるのですが、この街が特殊なのは「遊興地・三業地だった」という点です。三業地とは花街のことで、花街に欠かせない業種である料理屋・待合・置き屋を総じて三業と呼んだことから、そう呼称するようになりました。

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最終更新:11/26(火) 18:03
アーバン ライフ メトロ

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