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椎名林檎『歌舞伎町の女王』――たけし・タモリから手渡された「アングラ」という名のバトン 新宿区【ベストヒット23区】

11/17(日) 21:30配信

アーバン ライフ メトロ

林檎の歌詞から落丁した、新宿東口の濃密な一角

 前回の大田区に続いて、今回はいよいよ新宿区。いよいよと書くのは、さすが新宿区、音楽的なネタが無尽蔵に出てきそうな「23区一、音楽のニオイのする区」と言えるからです。

【画像】若者文化史の歴史が地層のように塗り重ねられた、新宿東口という濃密地帯

 というわけで、新宿区については複数回に分けて取り上げたいと思います。まず今回は新宿東口編を。

「ベストヒット新宿東口」は内容的にも知名度的にも、椎名林檎『歌舞伎町の女王』(1998年)で決まりでしょう。歌詞にはご丁寧に「JR新宿駅の東口を出たら」というフレーズが出てきます。

 ただ、このフレーズに噛み付いた人がいます。2019年10月に発売された中森明夫の自伝的小説『青い秋』(光文社。名著)に、こう書かれています。

――椎名林檎が歌うように「東口を出たら」、そこは歌舞伎町……なわきゃない。少なくとも、歩いて五分はかかる。

「でも、まあ、わかるよ。歌の世界なんだ。イメージの地図さ」と継ぎ足しているので、中森明夫も本気で怒っているわけではないのですが、確かに「JR新宿駅の東口」と「歌舞伎町」の間 = 東口すぐのエリアから生み出された文化は、非常に濃密であり、無視をすることなどできません。

若者文化の覇権をかつて、新宿が握っていた時代

 1967(昭和42)年、この東口エリアに降り立ったのは、20歳の北野武少年。無論、のちのビートたけしです。

 たけし青年が足を運んだのは、このエリアにあったサブカル、いや当時的に言えば「アングラ」(「アンダーグラウンド」の略)の発信基地のような喫茶店「風月堂」。自著『真説たけし!』(講談社)で、その「風月堂」の当時の印象をこう書いています。

――新宿でも有名な店で、変なのがいたよ。大学中退とか、卒業しても就職しないでブラブラしてるのとか、いわゆるドロップアウトしてる連中が多かった。(中略)オレもこの時点で、サラリーマンになることをあきらめた。

 次にたけしが向かったのは、新宿通りの紀伊國屋書店の手前を左に入ったところにあったジャズ喫茶「びざーる」。ここでたけしはボーイの職に就きます。そこから新宿のジャズ喫茶と職を転々としながら、浅草に流れ着き、芸人として「アングラ」からオーバーグラウンドへ飛び出していきます。

 ちなみに、たけしがまだ新宿でウロウロしていた1969(昭和44)年ごろ、花園神社近く、明治通りに面したゴーゴークラブ(ディスコのようなもの)「パニック」で、ぐんぐんとグルーヴするベースを弾いていたのが、たけしと同じ1947年生まれの細野晴臣です。

 そして80年代に入り、今まさにオーバーグラウンドに詰め寄らんとするたけしが、毎週火曜日の昼間に通ったのが、東口を出てすぐの新宿アルタ。フジテレビ系『笑ってる場合ですよ!』(1980~82年)の火曜日レギュラーに抜擢されたのです。

 火曜日のコーナー名が「勝ち抜きブス合戦」なのだから始末が悪いのですが、それにしても約10年前、ジャズとタバコにむせ返りながら、東口エリアの夜を徘徊していたたけしにとって、女の子のキャーキャーという嬌声を浴びながら見つめる真っ昼間の東口エリアは、どう映ったのでしょう。

『笑ってる場合ですよ!』の後番組として、同じく正午の新宿アルタから生中継されたのが、ご存じ『笑っていいとも!』(1982~2014年)。司会はこれまた東口エリアの奥 = 新宿ゴールデン街あたりの「アングラ」なニオイをまとったタモリでした。

 しかし、たけしとタモリという、新宿の「アングラ」から抜け出した人相の悪い30代の男たちが一気にオーバーグラウンドへと上り詰め、それによって「アングラ」臭を失っていったのと同時に、東口エリアの文化的ニオイも薄まっていきました。そして若者文化の覇権は新宿区から、もっとソフィスティケートされた港区や渋谷区へと手渡されていくのです。

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最終更新:11/26(火) 17:58
アーバン ライフ メトロ

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