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【連載】息子が読み解く“世界のオギムラ” ~卓球ノート#3~

11/19(火) 18:48配信

Rallys

故・荻村伊智朗(おぎむらいちろう)氏の卓球ノートが自宅から発見された。

「ミスター卓球」とも呼ばれた父・伊智朗氏の人生を、長男・一晃(かずあき)氏が“世界一の卓球ノート”から読み解く本企画。第3回となった今回は荻村氏の大学時代の逸話を紐解く。

荻村伊智朗氏フォトギャラリー

荻村伊智朗、都立大へ

まだ青臭い部分もあるとはいえ、その後の卓球人生の基盤はこの時代にあったのだろう。荻村の卓球に対する純粋な愛情、強い情熱、終わりのない探求心はこの頃に始まったことがわかるノート2冊だ。

そして卓球を続けながらも問題集を徹底的にやるという勉強法が功を奏し、都立大に入学することとなった。大学には3台もあり卓球環境は良かったが学生にとってクラブ活動は重要視されておらず、卓球部はなく毎日練習をする相手はいなかった。

そこで授業と授業の空き時間に一人練習をすることにした。10-25キロ程度のランニングなどのハードトレーニングで基礎体力を上げ、工夫されたサービス練習でスピードロングサービスという武器を手に入れ、壁打ちで早さと正確さを培った。

サービス練習では万年筆のキャップを標的にすることで集中力を上げ、ネットの高さを徐々に上げて練習での難易度を試合より高く設定した。そしてたくさんのサービス練習によってサービスのコントロールに特別大切なのは足の位置だと認識し、試合の時には床に目印を作るようにした。

後年荻村はボウリングにはまったが、サービス練習でのコントロールや力の使い方を当てはめたのだろう。コントロールを立ち位置と最初の目印であるスパッツ(卓球だと第一バウンドの位置)で出し、パワーを下半身から上半身へと伝え、最後の微調整を肘から指で行うという方法だ。アベレージが180オーバーというのもうなずける。

必ず返ってくる壁を相手に同じ所に返ってくる正確さと、試合ではあり得ない1分間に120往復(通常80往復程度)という早さで打ち込んだ。その結果100球位は続くようになったし、人間との練習ではラリー中に考える時間が出来た。

アメリカのトップテニス選手のサーブ&ボレー戦法を見て速攻に目覚めたり、世界選手権(ボンベイ大会・1952年)に出場する卓球代表チームの練習を新宿で見学して感動したり、一人練習と一流のものを見て刺激を受けていた大学1年生だった。

そして佐藤選手がボンベイ大会で優勝したことに興奮し吉祥寺周辺にビラを貼り、その後に行われた日英卓球での日本惨敗(15戦全敗)を2試合観戦して、これからは自分が頑張るしかないと決意した大学2年生のはじめだった。

以前より厳しく練習に取り組んだ荻村は、6月末に仙台で行われた全日本軟式卓球選手権で初優勝する。決勝ではカットの選手にロングではなくツッツキで粘り変化をつけ、チャンスボールをスマッシュするという戦い方で勝利した。

しかし1ヶ月後の都市対抗の準決勝でカットの選手に同じ戦法で最後に逆転負けをし、オーソドックスなロングを使った戦法で戦うべきだと考え直した。

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最終更新:11/19(火) 18:48
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