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台風被災地 ボランティア、非業の死

11/19(火) 15:00配信

茨城新聞クロスアイ

「結婚式どうするの?」

「具体的には考えていないよ」

母の問い掛けに、婚約者と新しい人生を歩もうとしていた次男が答えた。他愛もないやりとりが親子の最後の会話になった。次男は10月、台風19号の県内被災地でボランティア活動中に意識を失い、帰らぬ人となった。医者は、くも膜下出血と診断した。

母は水戸市住吉町、無職、黒川和子さん(73)。次男の暢仁(のぶひと)さん(36)は消防士だった。

暢仁さんの身長は170センチ台後半。胸回りも大きい。名門、茗渓学園中高のラグビー部出身で、体力を生かせる仕事に就こうと消防士になった。

「心優しい子だった」(和子さん)。2011年3月の東日本大震災で、手伝えることがないかと、県内の親類を回った。1人暮らしの80代の親類宅には定期的に訪れて、世間話に耳を傾けた。

30代半ば。結婚ができるのかと和子さんが心配していると、「彼女がいるんだ」と写真を見せられた。「こんなすてきな子とお付き合いしているなんて」。2人が婚約して、喜びは一層膨らんだ。

10月13日、台風19号が東日本を襲った。5日後の17日、暢仁さんはボランティアで被災地入り。夜には婚約者と彼女の母と食事をした。

翌18日も被災地に入った。そこで、不運に見舞われた。作業中に滑って転倒。住宅の床下の泥をかき出すため、床板を剥がしているところだった。しばらくして、具合が悪くなった。

横になったまま意識を失った。水戸市内の病院に搬送されたが、意識は戻らなかった。2日後、早世した。

医者の診断では、転倒との因果関係は分からなかった。ただ、くも膜下出血を発症していて、脳動脈瘤(りゅう)が破裂した可能性がある。

「(脳動脈瘤の)早期発見ができていれば、大事には至らなかったかもしれない。悔しい」。和子さんは声を震わせた。

葬儀には、消防関係者やラグビー部時代の友人らが大勢参列した。仲間が、消防の制服姿の写真を持ってきた。暢仁さんは屈託ない笑顔を浮かべていた。

「息子の死を無駄にしたくない。脳ドックを皆さんには自ら受けてほしいし、若いうちから積極的に受診できるような仕組みを職場や社会でつくってほしい」

写真を抱きながら、和子さんは願った。(今井俊太郎)

茨城新聞社

最終更新:11/19(火) 15:03
茨城新聞クロスアイ

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