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松島トモ子、10日の間にライオンとヒョウに襲われて…10mほど引きずられるも、後遺症なく奇跡の回復

11/20(水) 7:05配信

テレ朝POST

3歳からバレエを習い始め、ニュースで「小さな豆バレリーナ」として取り上げられたことがきっかけで阪東妻三郎さんにスカウトされ、4歳で映画デビュー。約80本の映画に主演。雑誌『少女』の表紙を10年間一人で務め、歌手、リポーターとしても活躍。1986年にはテレビの仕事で訪れたケニアでライオンに襲われ、その10日後にはヒョウに襲われるという衝撃のアクシデントに見舞われたことも。

近年はお母さまの介護生活を送りながら舞台、テレビをはじめ、多方面でマルチな活動を続け、12月20日(金)には恒例の「松島トモ子コンサート」の公演も控えている松島トモ子さんにインタビュー。

◆阪東妻三郎さんにスカウトされて映画デビュー

戦争終結直前に旧満州(現在の中国東北部)で生まれ、生後間もなく母と2人で日本へと引き揚げてきた松島トモ子さん。日本に帰る引き揚げ船での航海は過酷で、伝染病がはやり、体力のない多くの幼い子どもが次々と命を落としていったという。そして松島さんは3歳から「石井漠舞踊研究所」に入門。バレエを習い始めることに。

「満州から引き上げてきたので、食べるものがあまりなくて栄養失調状態というか、足が曲がっていたんですね。それで母が足をまっすぐに、丈夫にするためにね、バレエを習わせることにしたみたいです。

私は音楽が鳴り出すとすぐに踊ったりしていたので、これは踊りが好きなんだなと思ったんじゃないかしら。当時はまだ珍しかったのね、ちっちゃい子がバレエを習いに行くのは」

-当時の映像を拝見しましたが、可愛らしくて目立っていましたね-

「お姉さんたちの間でひとり小さな子がチョロチョロしていましたからね。お目にとまったみたいで、当初は『みんながバレエ熱に浮かされている』という取材でいらしたんですけど、急遽(きゅうきょ)タイトルを『小さな豆バレリーナ』になって。

それをご覧になった阪東妻三郎さんにスカウトされて映画に出ることになったんです。でも、あの頃はまだ活動写真という世界で、一般家庭の娘が映画に出るということは、まずあり得なかったというか…。

うちは大した家ではないですけど、親戚なんかは『松島さんの家のお嬢ちゃんが映画に出る』って言って泣いたっていうぐらい(笑)。

祖母も母も大反対だし、私も『これは身を落としたな』っていう思いはありました。当時は、映画に出ることは全然良いことではなかったんですよ」

-それなのに、よく芸能界に入ることを許してくれましたね-

「その頃、家に祖母と祖母付きのお手伝いさんが2人と、祖父が残して行った祖父の運転手さんがいて。そこへ私と母が入ったんですけど、祖母は昔の人ですから、女が働くと言うことが考えられないというか。ご主人様がお給料持ってきてというのが普通だと思っていたんだけど、ご主人様が一人もいないんですよ、父は戦争で、祖父は結核で亡くなったので。

母は津田塾大学で英文タイピストの資格も取っていましたけど、私が祖母にまったくなつかなかったものですから、母が働きに行くというのはね。それに母と娘が一緒にいられる働き場所なんて今だってなかなかないですよね。

だから、2人一緒にいられるっていうことで、母は私が映画の仕事をすることを納得したんじゃないかな。まだ4歳ですから、撮影現場に付いて来てずっと一緒にいられる、それだけのために引き受けたんだと思います」

映画デビューをするやいなや大人気となり、松島さんの髪型を真似(まね)して「トモ子ちゃんカット」をする女の子が続出。バレエを習い始める子どもたちも大幅に増えたという。

-当時のことは覚えていますか-

「バレエの初舞台の3歳のときのことも、4歳で初めて映画の撮影でアップを撮られたときのことも鮮明に覚えています。自覚はありました。

敗戦直後ということもあって、日本中のおじさんもおばさんも元気がなかったのよね。なんとなく。だから、おじさんとかおばさんに元気をあげるんだという思いでやっていました。私自身は非常に貢献しているつもりで」

-雑誌『少女』の表紙はお一人で10年間つとめたそうですね-

「5歳から15歳までの10年間だったと思います。『少女』の他にもいっぱいあったのね。『りぼん』だとか『なかよし』だとか。そういう雑誌のグラビアもみんな私だったから、めちゃくちゃに忙しかったの」

-学校にはちゃんと行けていたのですか?-

「それがお約束で仕事をやることにしたんですけど、早退はするし、遅刻はするし…。でも、我が家には家庭教師が住み込みでいましたし、恵まれていましたね」

-映画、雑誌、そして歌も歌われて。『おもちゃのチャチャチャ』も松島さんが歌っていたそうですね-

「はい。私が歌うのは、だいたいが映画の主題歌だったんですけど、コマーシャルソングもいっぱい歌っていたし、そういう延長でやったんだと思います」

-ものすごい数のお仕事をされていたのですね-

「そうですね。あの頃は映画の黄金期でしたから、5、6本は同時に撮っていました。あまりにもいろいろ同時にやっていたので、とにかく忙しかったわね」

※松島トモ子プロフィル
1945年7月10日生まれ。旧満州国奉天生まれ。母子2人で引き揚げを体験。1949年、4歳のときに芸能界デビュー。嵐寛寿郎主演映画『鞍馬天狗』、『サザエさん』シリーズなど多くの映画に出演。映画の主題歌をはじめ、歌手としても活躍。17歳のときにアメリカに2年半留学し、帰国後はミュージカル、テレビのリポーター、ラジオのパーソナリティー、CM、『ひょっこりひょうたん島』(NHK)の声優など幅広い分野で活動している。

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最終更新:11/22(金) 17:03
テレ朝POST

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