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【くまもと五輪物語】大洋デパート出身選手たち(上)ハンドボール、モントリオール出場 欧州遠征中に聞いた火災

11/22(金) 10:37配信

熊本日日新聞

 1976年7月5日。カナダ・モントリオールの五輪選手村に、日の丸が上がった。日本勢一番乗りで入村したのは、実業団の大洋デパート(熊本市)出身の3選手が率いるハンドボール女子。入村式では、主将の島田(現姓・竹内)夏枝(69)=氷川町出身、京都市=が先頭に立った。

 「やっと参加できるんだと、五輪をようやく感じた瞬間。どの国際大会とも違う、特別な雰囲気だった」

 ハンド女子は同大会で初めて、正式種目に採用された。出場6カ国のうち4カ国は共産圏の強豪ぞろい。日本と開催国枠のカナダが実力で一ランク下がる構図だった。

 総当たりの結果、体格差で圧倒的優位のソ連が全勝して金メダル。日本は最終戦で、ともに全敗で迎えたカナダと対戦した。前半は7-11とリードされたが、後半で逆転して15-14と1点差の勝利。5位に終わった。

 「共産圏とは国際大会で何度も対戦したが、本気度が違った。だからカナダだけには絶対に勝たないといけない。終了の笛が鳴った瞬間、『ようやく日本に帰ることができる』と、ほっとした」

 初の五輪に至る道のりは険しかった。日本はアジア予選、南北アメリカとアフリカの3大陸代表決定戦を経ての切符。ただ大洋デパート出身の選手たちにとっては、予選以上の苦難を乗り越えてつかんだ夢舞台だった。

◇   ◇

 モントリオール五輪を3年後に控えた73年11月29日。島田ら代表チームは欧州にいた。当時、国内トップクラスだった大洋からは、6選手と監督の井薫(81)=熊本市東区=が名を連ねていた。

 この日は、ユーゴスラビアでの世界選手権を前に、つかの間の休日。島田は朝から、メンバーとパリの三越デパートへ買い物に出掛け、そこで思いがけない言葉を耳にする。「日本から来ている従業員が、『大洋が全焼したよ』って。何のことか分からなかった。とにかく急いで帰り、井監督に伝えた」

 大洋デパートは当時、熊本市中心部の下通アーケード街にあった。自分たちが毎日接客していた大洋の売り場はその日、炎と黒煙に包まれていた。

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最終更新:11/22(金) 10:37
熊本日日新聞

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