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<Together>日本代表を育てた元カンボジア難民のコーチ 不運乗り越え 東京パラ出場へ夢託す

12/4(水) 6:30配信

毎日新聞

 2020年東京パラリンピック出場を目指すボート日本代表のホープを育てた倉木健治さん(37)は、異色の経歴を歩んできた。カンボジアの内戦によりタイの難民キャンプに逃れた両親から生まれた「元難民」。出生届がなく国籍取得に支障が生じ、足の障害のために壁にはね返されたこともあった。選手としてパラリンピック出場はかなわなかったが、今は教え子に夢を託している。【高橋秀明】

 11月上旬、相模原市の相模湖。台風19号の影響で、湖岸には流木が漂っていた。それでも復旧作業の末、倉木さんが創設した障害者ボートチーム「湖猿(こざる)」は練習を再開した。流浪の人生を送ってきた自分にとって大切な居場所。それが湖猿だ。

 倉木さんは1982年、タイの難民キャンプに身を寄せていた両親から生まれた。カンボジア名はルーム・レット。祖国のカンボジアは政府とポル・ポト派が戦火を交え、レット少年が4歳の時に一家は日本に亡命した。「うちは政府側だった。父は僕を抱きかかえて運んでいる時に撃たれ、今でも右肩に銃創が残っている」。家族は神奈川県愛川町に定住。父がトラックの製造会社に就職して生計を立てたが、自らは来日直後にポリオ(小児まひ)を発症し、左足が変形した。

 小学校では体育の時間が一番つらかった。「走れないと言いたかったけど、走りたいという思いもあって、言えなかった」。悩みを家族に打ち明けようとしたが、両親とも問題を抱えていたという。「外では日本語、家ではクメール語。頭の処理がおいつかず、そのうちクメール語がポンと抜けてしまった。親とは小学2年の頃からうまくコミュニケーションがとれなくなっていた」

 小6の時には、ある事件に巻き込まれた。友だちの悪口を書いたとぬれぎぬを着せられた。「ホームルームで先生から『やったなら謝れ』と言われた。『やってません』と言い返したけど、早く帰りたいし、最後は『やりました』と言ってしまった」。すると心ない言葉を浴びせられた。「外国人はうそをつく」と――。

 中学3年の頃、恩師と呼べる先生に巡り会ったことが転機になった。「高校に入ってやりたいことを見つけて、見返してやれ」と励まされた。神奈川県立愛川高に進学し、ボート部に入部。走るのは苦手だったが、水上でオールをこいでみると、艇はスーッと滑らかに水面を進んでくれた。体験したことのない快感だった。健常者も参加した高校3年の全国選抜大会では7位に入った。ボートが自分の存在を証明してくれた。

 高校卒業後、08年北京パラリンピックからボートが正式種目として採用されることが決まった。夢が膨らみかけたが、ここで浮上したのが国籍の問題だ。パラリンピック出場には日本国籍が必要だが、取得に必要な出生届などの書類がなかった。カンボジア大使館に掛け合ったが、「亡命」を理由に門前払い。08年北京、12年ロンドンの両大会はあきらめざるをえなかった。

 その後、国内の支援団体のサポートもあり、13年に日本国籍を取得。倉木健治として16年リオデジャネイロ、20年東京大会を目指した。しかし、得意種目のダブルスカル(2人乗り)の出場資格に、自らの障害があてはまらない不運もあり、17年に第一線を退いた。

 指導者になる覚悟を決めた倉木さんが運営する「湖猿」は現在、総勢約30人が所属している。パラリンピックを目指す視覚障害や肢体不自由の選手のほか、知的障害の選手もいる。地元にある航空宇宙部品の製造工場で働きながら、週末に相模湖を拠点に指導している倉木さんには、日本代表を育てるだけでなく、「みんなの居場所になればいい」との思いがある。自分自身がボートに救われたからだ。背中を押すのは妻美穂さん(38)と2人の娘。「ボートを続けて。かっこいいから」。長女美桜(みお)さん(9)の言葉が励みになっている。

 湖猿のメンバーには、東京パラリンピック代表の有力候補がいる。視覚障害者柔道から転向した有安諒平(32)=東急イーライフデザイン=は湖猿でボートの基礎を教わり、日本代表へと成長した。「競技を始めようと思っても、関東には障害者ボートのチームがなかった。倉木さんにはボートの乗り方からオールの取り付け方など初歩的なことから教えてもらった。きっかけも練習環境も与えてもらった」と感謝する。

 有安が出場を目指すボートの混合かじ付きフォアは、男女2人ずつのこぎ手に加え、かじ取り役のコックスも同乗して1チーム5人で戦う。こぎ手は視覚障害と肢体不自由という異なる障害を持つ選手で構成し、コックスは健常者が務めてもいい。東京パラリンピック出場は20年5月の世界最終予選の結果などで決まる。

 日本代表を陰でサポートしてきた倉木さんは「有安君には悔いを残さないようにやってほしい」と期待し、有安は「パラリンピックを目指していた倉木さんの思いも背負って戦う。恩返ししたい」と力を込める。20年夏、2人は夢が結実する瞬間を心待ちにしている。

最終更新:12/4(水) 6:30
毎日新聞

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