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ダイナマイト・キッドさん一周忌 初代タイガーマスクとプロレスを変えた男を振り返る

2019/12/5(木) 8:00配信

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 2018年12月5日、不世出の天才プロレスラーが、60歳の誕生日にこの世を去った。“爆弾小僧”のニックネームで日本中を沸かせたダイナマイト・キッドである。早いもので、あれからちょうど一年、日本では元号が平成から令和に移行した。昭和の新日本プロレスで初代タイガーマスクを中心に巻き起こった大ブーム。その立役者の「一周忌」を機に、あらためてダイナマイト・キッドというレスラーを振り返ってみたいと思う。

【写真】96年3月、ダイナマイト・キッドと佐山サトルが感動の再会を果たし、握手を交わした貴重な瞬間

キッドだから名勝負になった 誰もがそう振り返る初代タイガーデビュー戦

 タイガーマスク最初にして最大のライバル。1981年4月23日に蔵前国技館で行われたタイガーのデビュー戦、「タイガーマスクVSダイナマイト・キッド」なしに現在のプロレスは語れない。そう言っても過言ではないだろう。意識の有無にかかわらず、現代のジュニアヘビー級戦線において、この試合の影響を受けていないレスラーはいないはずだ。 それだけの影響力が、キッドのプロレスにはあった。”カミソリファイト”と形容される鋭い攻撃には一切の妥協がない。実際、捨て身の大技で自身の身体に鞭打って闘ってきた。その代償は大きかったが、彼のプロレスに込められた思いは多くのレスラーに受け継がれている。

イギリスからカナダ そして日本へ

 本名トーマス・ビリントンは58年12月5日、イギリス・ランカシャー州に生まれた。ランカシャーレスリングで知られるとおり、故郷ではレスリングが盛んだった。スティーブ・ライトらを輩出した名伯楽テッド・ベトレーに師事し、16歳でデビュー。ジョイント・プロモーションで経験を積み、79年にはカナダのハート・ファミリーに見いだされカルガリーに渡った。

 スチュ・ハート主宰のスタンピード・レスリングで頭角を現わし人気レスラーになると、79年7月に国際プロレスへ初来日。80年1月には新日本プロレスに初登場を果たす。そして81年4月23日、タイガーマスクデビュー戦の相手に抜擢されたのだ。

 当時こそ“謎の覆面レスラー”だったタイガーだが、正体の彼にとってはイギリスからの凱旋試合でもあった。サミー・リーと名付けられ英国マットを席けん、タイガー・ブーム以前に佐山サトルは日本人の知らないところでサミー・ブームを作りだしていたのである。それだけにキッドとの試合はイギリスつながりと思われがちだが、実際はそうではない。

 佐山とキッドはイギリスで一度タッグを組んだのみで、対戦はかなわなかった。カナダにおけるキッドのスケジュールが過密だったため、すれ違いとなっていたのだ。よってこのマッチメークは、アントニオ猪木の閃きによるもの。当時のプロレス界では未知だった佐山の動きについてこれるのはキッドにおいてほかにない。猪木の読みと抜群のマッチメークセンスが、完全初対決の顔合わせを伝説にしたのである。

 また、キッドは猪木のアドバイスによりプロレスラーのアイデンティティーをリング内外で貫いた。ファンの前ではサインを求められると色紙を取り上げ破り捨てた。

 後年でもバックステージでは知らないレスラーの前で仏頂面を押し通した。タイガーマスクという絶対のスーパーヒーロー、それに敵対するダイナマイト・キッド像を創り上げたのだ。

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最終更新:2019/12/5(木) 9:46
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