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明石商の「最強トップバッター」来田涼斗が成長期にたくさん食べた物は?

2019/12/5(木) 17:00配信

ベースボールキング

1年春から明石商の1番打者として公式戦に出場し、今春センバツの準々決勝・智弁和歌山戦では史上初の先頭打者弾&サヨナラ弾を放つなど、最強のトップバッターとしてその名を馳せている来田選手。地元・兵庫県神戸市出身で、幼いころからその能力の高さを発揮していたようです。

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3歳上の兄の影響で小学校1年から伊川谷キングスターズで野球を始めた。兄と同じショートを守ったが、当時から運動神経はずば抜けていて、「守備範囲とグラブさばきには自信がありました」と本人。6年生になると明舞ネオボーイズに移り、オリックスジュニアにも選ばれた。小学校時の練習は週末の土日だけだったが、幼いころから野球が大好きで「他のスポーツに興味がない訳ではなかったけれど、とにかく野球一筋でした」と白球に触れる時間を大切にしてきた。

成長期に比例して体がぐんぐん大きくなったのは小学校5年生ぐらいから。大好きなお米をたくさん食べるようになったからだ。身長も伸びていき、小学校6年生から中学1年までの1年間で身長が10センチ以上伸びた。なお、特別なトレーニングなどはしていない。
「特に冬場は家に帰ってご飯を食べたら何もせずにすぐに寝るというのが基本でした。量や何を多く食べるなどは決めず、自分が食べたいものを食べたいだけ食べました。3時のおやつは、お菓子を食べるのではなく白飯を食べていました」と振り返る。ちなみに甘い物は当時からあまり好きではないという。

外野手を本格的に始めたのは中学2年の時。ヤングリーグの強豪・神戸ドラゴンズに所属していた時だ。ショートで鳴らした守備範囲の広さは外野手としても十分に生かせた。たちまちセンターのレギュラーとなり、打っては3番打者として全国大会優勝も経験した。

高校では巧打者としてその名が知れ渡るようになったが、打者としての当時の自分を来田はこう振り返る。「ヒットの数や打率は他の選手より良い方だったと思います。スランプもほとんどなくて。ただ、打てなかった時はめちゃくちゃ悔しがっていました」。

負けず嫌いな性格も手伝って、打球の力強さはさらに増した。ただ、自分の欠点も冷静に見抜けるようになっていた。「打てなくなると無駄に力が入ってしまう。自分は上位を打たせてもらうことが多かったので、勝負強さが大事だとずっと思ってきました。でも、中学ではここというところで打てない時の難しさをずっと感じてきました」。



大きな舞台を経験する機会が増えたのと同時に、プレッシャーへの立ち向かい方も学んだ。中学からは硬球を打つようになったが、変わらず打率を残せたのは硬球に対する抵抗がまったくなかったからだという。「自分は硬式の方が打ちやすかったです。軟式だとボールが柔らかすぎて(ボールが)潰れてしまうんです。硬式は打球が飛ぶし、自分は硬球の方が合っているんじゃないかと思います」。

元々物怖じしない性格で、余計なことはあまり考えないタイプだ。来田の練習への姿勢について狭間善徳監督に尋ねると「意識はすごく高い。入学した時からすでに中学生離れした打球を打っていた」という。この秋からは主将となり、さらに高みを見据えながら黙々とバットを振り続けている。(取材・写真:沢井史)

BASEBALL KING

最終更新:2019/12/5(木) 17:00
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