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「特別なジャガーEタイプ」12台しか造られなかった理由とは?

2019/12/6(金) 11:25配信

octane.jp

オリジナルライトウェイト ジャガーEタイプは18台の生産を計画していたのに、なぜ12台しか造られなかったのか?それは誰にも答えられない疑問だ。
 
論理的な回答は、それが1ダース以上は売れなかったということ。また、「ライトウェイトがフェラーリ250GTOより明快に優れていると言いきれなかった」からだとする向きもあるかも知れない。だが、それはちょっと違う。DタイプやEタイプ、GT40やフェラーリでのレース経験のあるピーター・サトクリフによれば、「適任者が適材を操縦すれば、勝つことはできた」。
 
1950年代のCタイプ、Dタイプでのレース絶頂期の後、少数のプライベートドライバーたちが、初期の市販型Eタイプでレースに勝利していたことを受け、遅まきながら後継車の可能性を探るようになるまでの長い間、ジャガーはレースから遠ざかっていた。Eタイプロードスターのスティールモノコックをアルミに変更して113kgの軽量化を行い、燃料噴射を備えたアルミ製3.8リッター直列6気筒を搭載するプロジェクトは1962年後半に始まった。GTカーとしてのホモロゲーション取得のため、ジャガーはライトウェイトを100台生産する必要があったが、スティールボディのEタイプをライトウェイトのオプショナルバージョンとすることで抜け道を見いだせた。

ライトウェイトの1号車は、スタンダードのスティールボディをアルミボディに換装しただけのロードスターで、ロンドン南西部のギルフォードでジャガーの販売店を経営していたレーシングドライバーのジョン・クームズが"BUY 1"として登録し、その後"4WPD" として再登録された。この車は、なぜかライトウェイトがアロケートした18台分のシャシーナンバーのひとつは与えられず、オリジナルナンバーの"850006" を保持し続けたが、後日、頭に他の11台と同じSが付けられた。

この極めて特別なEタイプについては、ジャガーエキスパートのフィリップ・ポーターが彼の新刊で言及している。それ以外の11台には"S850659" から"S850669" が与えられ、ブリッグス・カニンガムなど選ばれた世界中のプライベートドライバーに送られた。滑り出しは快調で、1963年にはグレアム・ヒルが、クームズのマシンでいくつかの国内レースで勝利した。写真はその時のものだ。ライトウェイトの開発は、1963~64年も続けられた。

注目すべきは、さらに空気抵抗を軽減させるためファストバックに改造された5号車と6号車だ。航空技術者としてエアロダイナミクスの専門家であったジャガーの設計者マルコム・セイヤーは、この重量増加か空気抵抗低減かの問題で長いあいだ悩み続け、クームズ所有の250GTOを借り出してそれをEタイプと比較分析し、1961年にワンオフのEタイプ・ロードラッグクーペを完成させた。
 
グッドウッドにライトウェイト12号車を持ち込むなど、自身熱心な使い手のF1デザイナー、エイドリアン・ニューウェイは、セイヤーはドラッグに注目するあまり、ダウンフォースの改善を見逃したのではないかと推測する。「ライトウェイトがGTOに負ける部分はおそらくエアロダイナミクスだろう。フェラーリはノーズが低く浮き上がりを軽減するし、リアにはスポイラーもある」
 
当時両方の車で戦ったジョン・サーティースはこう証言する「GTOは特筆すべきよいところはなにもないが、すべてがよい。そうして、それこそがフェラーリの長所なのだ。すべてが予測可能で信頼でき、比較的ドライブが簡単。ジャガーは、対照的にサスペンションの変化に敏感すぎ、残念なことに常に信頼に足るとはいえなかった」
 
だが、それにも関わらずライトウェイトは常に入賞を果たしており、またそれらの何台かは現在でも現役でレースに参加し続けている。このことには常に貴重な車両の損失という危険が伴うが、それでも12台生産されたうちの11台が生き残っている。

Octane Japan 編集部

最終更新:2019/12/6(金) 11:25
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