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旧海軍「一航戦」なぜ公式最強? 空母「赤城」「加賀」時代とその後支えた「五航戦」

2019/12/6(金) 6:03配信

乗りものニュース

その精強さイカサマ級!

 1941年12月8日(日本時間)、真珠湾攻撃へ臨む旧日本海軍の艦隊のなかに、空母「赤城」「加賀」の姿がありました。両空母とそれぞれが載せる航空部隊、および警護の駆逐艦3隻とで編成された部隊こそ、海軍航空戦隊の花形「一航戦」です。

【写真】真珠湾攻撃のなかアメリカ艦に衝突した九九艦爆の残骸

 旧日本海軍では、空母とそれに載せる航空部隊を基幹とした「航空戦隊」という部隊単位を編成していました。太平洋戦争開戦時である1941(昭和16)年12月の各航空戦隊における空母は、第一航空戦隊(一航戦)が「赤城」「加賀」、第二航空戦隊(二航戦)が「蒼龍」「飛龍」、第三航空戦隊(三航戦)が「瑞鳳」「鳳翔」、第四航空戦隊(四航戦)が「龍驤」、第五航空戦隊(五航戦)が「翔鶴」「瑞鶴」となっていました。

 真珠湾攻撃に参加したのは、一航戦、二航戦、五航戦で編成された「第一航空艦隊」でしたが、このなかの一航戦は別格に練度が高く「チート(イカサマのようにすごい)部隊」とも言えました。なぜ一航戦は特別優秀な部隊だったのでしょうか。

 航空機が発達したとはいっても、太平洋戦争前はまだ戦艦中心の大艦巨砲主義が世界の常識でした。そうしたなかで立案された、航空機のみで敵本拠地をたたくという「ハワイ作戦」(真珠湾攻撃)の着想は画期的でしたが、あまりに常識破りでした。未経験分野も多く綿密な計画と準備が必要で、さらに作戦の秘密は絶対守らなければなりませんでした。

人事担当者を泣かせた「チート部隊」

 作戦主力となる第一航空艦隊の、とりわけ「一航戦」は、計画段階から新しい戦術の研究、立案、実験、検証まで行うため特別扱いになり、人事慣例を破ってとにかくエース級の人材がかき集められました。たとえば、空中指揮官としての能力を買われ空母「赤城」の飛行長となった淵田美津雄少佐の前職は三航戦の参謀であり、飛行長になることは降格人事にあたります。異例のことですが、ハワイ作戦を知らされて本人は喜んで納得したようです。ちなみに、真珠湾攻撃に関し有名な「我奇襲ニ成功セリ」の暗号電信「トラトラトラ」を発進したのは淵田機です。

 こんな無茶な人事ですから、ほかの部隊からはクレームも出ます。連合艦隊司令部からは「第一航空艦隊からの人事要請は優先すべし」というお達しのみで、ハワイ作戦は海軍内でも秘密でしたので、事情を知らない人事担当者はひたすら頭を下げてまわったそうです。

 その甲斐あって一航戦は、水深の浅い真珠湾でも使える低沈度魚雷の開発と実用化、精度の高い水平爆撃法の開発といった成果を挙げ、ハワイ作戦の準備を万端に整えます。

 真珠湾攻撃の結果は、奇襲とはいえ、命中率は雷撃90%、水平爆撃27%、急降下爆撃59%という驚異的なもので、まさに「チート部隊」の本領発揮でした。その陰には人事担当者の苦労もあったのです。

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最終更新:2019/12/6(金) 16:23
乗りものニュース

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