ここから本文です

球団消滅から15年― 豪快伝説、個性派集団、いてまえ打線…最後の選手会長が語る近鉄

2019/12/7(土) 12:52配信

Full-Count

まさにプロ、野球になれば一気にまとまる個性派集団

 今回出版された書籍の前半部分では、“悲運の名将”と呼ばれた西本幸雄氏の談話やエピソードが多数紹介されている。“お荷物球団”と揶揄されるほどの弱小チームだった近鉄を熱心な指導で立て直し、1979年の球団史上初のリーグ優勝、そして翌年のリーグ2連覇へとチームを導いた、まさに近鉄の礎を築いた闘将だ。

 礒部氏は西本氏の指導を直接受けたわけではないが、梨田昌孝氏や羽田耕一氏といった、西本氏の教え子だった近鉄のコーチの指導を通じて、その教えを学んだ。

「梨田さんもよく言われるのですが、仰木(彬)さんの時代も含めて、近鉄では西本さんの野球がずっと続いていました。自分がコーチになって指導する際にも、自分では気づかないうちに、そういった部分が少しずつ出ているのかなと、後から考えれば思うこともあります」と、その教えはさらに後の世代にも受け継がれているようだ。

 西本氏が作った“強い近鉄”の潮流は、その後も球団の伝統となって確かに息づいていた。礒部氏が「僕にとっては最高の二塁手。最高の守備職人」と絶賛する盟友・水口栄二氏は、1991年に近鉄に入団。普段は選手個々がバラバラでも、いざ試合が始まるとひとつにまとまってプレーするところに感銘を受けたという。そういった姿勢は、礒部氏が入団した1997年になっても継続していた。

「もう、そのまま残っていましたよ。プライベートは全然バラバラでも、試合や練習の連携プレーではばっちりのタイミングでやれるんですよ。本当にプロというか、『あの人とあの人は仲が悪いのに、いざ野球となるとこんなに上手くできるんだ』と。プライベートが全く関係ないという話ではないですが、昔の西武もそうだったんじゃないですか? 強いチームって、こういうことなんだなとは思いましたね」

「いてまえ」の合言葉通り、豪快なエピソードの多かったチームだが……

 捕手として個性の強い投手たちとコミュニケーションを取っていた礒部氏は、5度の最優秀救援に加え、1992年には抑えを務めながら最優秀防御率を獲得するという離れ業を演じた剛腕・赤堀元之氏の意外なエピソードも明かしてくれた。

「赤堀さんなんか、試合前にずっと漫画を読んでましたね。どんだけ漫画読むねんって(笑)。8回から9回が赤堀さんの仕事場なので、球場に入るのも遅かったりしました。仰木さんの時には現在のような、クローザーもホームゲームでは3時間半前くらいから練習という感覚は近鉄にはなかったと思うんですよね。やはり、試合でベストパフォーマンスを出すことが一番で、クローザーなら別に早く来なくても、ゆっくりその時間に合わせて来ればいいんじゃないかと。やっぱり、それも近鉄らしさですかね」

 また、書籍の中では、金村義明氏の談話として、1988年と1989年の2度にわたるダブルヘッダーで日本中の注目を集めた名監督・仰木氏が、翌日のショートの先発を北海道遠征で訪れたサッポロビール園での一気飲みで決めたことがあるという、現在では到底考えられない驚きの逸話も紹介されている。

「『ショート、誰が行くねん』と。真喜志(康永)さんなんか、普段酒飲まないのに一生懸命飲んでたらしいですよ。普通、レギュラーを一気飲みの早さで決めますか? ある程度の立ち位置の選手だけでやるならいいんですけど、控えの控えみたいな登録メンバーで勝負するぐらいですからね。ありえないような話ですけど、仰木さんのやりそうなことだなあ、と。元々そういう、お酒を飲みながら何かするのが好きな方でしたから」

 今回の書籍の中には、他にも、いかにも近鉄らしい、豪快かつ人情味のあるエピソードが多数収録されている。とはいえ、実際の近鉄というチームは、世間一般の豪快なイメージとは異なる一面も持っていたという。

「打ち勝つ野球が多くて豪快に見えるでしょうが、細かいサインプレーなどもしっかり入れながら、というチームでしたので、周囲が思うほど僕たちは『いてまえ』という感じではないんです。僕たちが入った時には分析担当のコーチの方もおられましたし、元々の豪快な野球に緻密さを足すことで強いチームを作っていこう、という、ちょうどそういった世代でした」

3/4ページ

最終更新:2019/12/9(月) 8:08
Full-Count

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事

Yahoo! JAPAN 特設ページ