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最強のふたり 渋野日向子のシンデレラストーリーをひも解く

2019/12/8(日) 22:54配信

ゴルフダイジェスト・オンライン(GDO)

「シンデレラストーリー」の原点は何ですか?そう問われると、渋野日向子はいつも、青木翔コーチとの出会いを挙げる。

しぶこが警察署長に

「それがなければ、いまの私はいない」とまで言い切る。2人を結び付けたのは、ゴルフ用具メーカー・ピンでアマチュア選手を担当していた穂積真嗣氏だ。その証言から “最強のふたり”誕生の秘話をひも解いていく。

ためらいの秋

2017年秋、「日本女子オープン」会場の我孫子ゴルフ倶楽部(千葉県我孫子市)。穂積氏は18歳の渋野の練習ラウンドを見つめていた。「ずっと、しっくりいってない感じでしたね。その年のプロテストの前くらいから、彼女の持ち味がどんどんなくなっていた」。グリーンをとらえかけた打球が奥にこぼれ、渋野は首を傾げる。「穂積さん、なんか最近ボールが止まらないんですよね…」

渋野の地元・岡山県のスポーツ用品店関係者を通じて出会った2014年には「振り切れる選手だな。全国区ではないけど、率直に思い切りが良い選手」と感じていた。しかし、このころには、そうした印象は変わっていた。本来の持ち味であるストレート系とは異なるドロー弾道。数値をずっと測ってきたので、原因は容易に想像がついた。

「当時の彼女はドロー弾道のとき、ほとんどスピンがかからない数値でした。だから、ボールが止まらないのは明白。ただ、飛距離が欲しかったのもあると思うし、迷いながらやっていた。そもそも僕はコーチではないし…」。本人に助言するには、ためらいがあった。

本戦は案の定、通算9オーバーの110位で予選落ちした。同学年の畑岡奈紗が衝撃的な国内メジャー記録の20アンダー、2位に8打差をつけて圧勝した試合だ。

「女子オープンのセッティングに太刀打ちできるようなゴルフでも、状態でもなかった。渋ちゃんのことを思うと、本当にどうにかしないといけないって」

思い浮かんだ顔

思い浮かんだのは、ただ一人。

数日後、電話を掛けた。「青木さん、渋ちゃんのこと本当にどーにかしてよ」。大谷奈千代のコーチ時代に出会ってから5年。淡白なやりとりは、信頼感の裏返しだ。

「穂積さんが頼んでくるときは、いつもこれだけですもん。とりあえず『青木さん、どーにかして』って。でも一度しっかり見てみましょう、となった」(青木コーチ)

渋野は「すぐにお会いしたいです」と即答した。「たぶん、渋ちゃんも何か変えないとマズいと思っていたんだと思う」。選手にとって専属コーチは運命共同体のようなものだが、自信はあった。

「青木さんは、渋ちゃんが苦手にすることを求めるコーチなんですよ。渋ちゃんを大きく変えるには、渋ちゃんがまったく持っていないものを持っている青木さんしかいないと思った」

当時の渋野は硬いシャフトを好み、球は低弾道。バウンスを使うウェッジショットも、できなかった。一方、青木コーチは軟らかいシャフトを使いながら、球の高さを出すのが得意。バウンスを使いながら、絶妙なウェッジショットを繰り出す。

「技術的なこともあるんですけど、一番は何と言うか…。ノリが合うと思った」。最後の壁となる相性も、クリアできると感じていた。真面目さの中にあるユーモアのさじ加減。2人のそんなバランスが絶妙にマッチすると踏んだ。

車で兵庫県の練習場を訪ねた渋野の最初のレッスンを終えると、青木コーチからスマートフォンでメッセージが届いた。「また、すごい子連れて来たね」

「でも嫌いじゃないでしょ?(笑)」と応じると、「うん、嫌いじゃない(笑)」と返信があった。

数カ月後、2人の様子を見ようと練習場に足を運んだ。「渋ちゃんの後ろで、ミスするたびに青木さんがニヤニヤしているんですよ。『え?これできないの?』みたいな。そしたら渋ちゃんが笑いながらも、見返そうと必死に取り組んでいる。やっぱりハマったなと…」。自信は確信に変わった。

最強のふたり

時を進める。2019年、日本時間の8月5日未明。自宅リビングのテレビの前で手に汗を握っていた。日本人女子42年ぶりの海外メジャー制覇がかかる「全英女子オープン」最終日。後半16番で、キャディを務める青木コーチにそそのかされるように、渋野はカメラ目線で駄菓子にかじりついた。

「おい、おい」と口が開いた。時計の秒針の音と、驚きを伝えるアナウンサーの実況が聞こえる。緊張していた自分がアホらしい。

もう一度、確信した。「どこまで行っちゃったって、どれだけスターになったって、いつまでも変わらないわ。この2人は」(編集部・林洋平)

林洋平

最終更新:2019/12/9(月) 12:39
ゴルフダイジェスト・オンライン(GDO)

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