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常識外れだった「真珠湾攻撃」 背景にあった技術革新とは 旧海軍は課題どう克服したか

2019/12/8(日) 6:02配信

乗りものニュース

奇想天外大作戦

 1941(昭和16)年12月8日(日本時間)、「真珠湾空襲さる。これは演習ではない」という電報を受け取ったアメリカのノックス海軍長官は、「何だと! こんなことはあり得ない! フィリピンのことに違いない!」と叫んだそうです。それくらい、当時の常識を覆す作戦だったのが、日本海軍の「ハワイ作戦(真珠湾攻撃)」でした。この作戦こそが、日本海軍が追い求めた「決戦」だったのかもしれません。

【図表】真珠湾攻撃時の第一航空艦隊出撃機編成一覧 ほか真珠湾攻撃の様子

 この奇想天外な作戦を実現するため日本海軍は様々な技術革新に挑んでいます。

真珠湾要塞は航空機で攻撃できるのか

 太平洋の真んなかに浮かぶハワイ諸島、そこに位置するアメリカ海軍の真珠湾基地は、太平洋艦隊の拠点であり、日本海軍の脅威となっていました。当時、日本海軍の基本方針はアメリカ戦艦隊をフィリピン沖に誘い出して、艦隊決戦におよぶというものでしたので、戦艦中心の大艦巨砲主義時代に、この本拠地を航空機で叩こうという発想からして奇想天外でした。

 この作戦の発案者は、連合艦隊司令長官に就任した山本五十六大将でした。着想は1928(昭和3)年ごろといわれていますが、このころの攻撃機といえば一三式艦上攻撃機という、木製骨格の羽布張り複葉機で、18インチ魚雷または250kg爆弾を2発抱えて、速度は200km/hも出ない代物だったのです。まったく無茶苦茶な発想に思われます。

 ところが航空機や兵器の技術革新速度は、軍人たちの想定よりも早かったのです。「いつか戦艦は航空機に沈められる時代が来るかもしれない」とは認識されていたものの、もう目前だったことに気が付いた人は山本長官のほか、まだ少数派でした。航空機の技術革新速度を見積もって作戦を着想したのは、慧眼というほかありません。

航空機で戦艦を沈めるにはどんな方法があるのか

 航空機で戦艦を攻撃するには雷撃、水平爆撃、急降下爆撃という方法がありますが、それぞれ一長一短があります。一番効果的なのが雷撃です。当時、日本海軍の雷撃法では高度100mで魚雷を投下していましたが、投下された魚雷は50mから60m沈降します。一方、真珠湾の水深は12mしかなく、この方法だと魚雷は海底にぶつかってしまい雷撃は不可能と見られていました。

 さらに真珠湾では、艦は2隻ずつ抱き合わせで碇泊しているので、雷撃では岸壁側の艦が攻撃できず、爆撃は必要でした。九七式艦攻(艦上攻撃機)が搭載できる800kgの徹甲弾を高度3000mから投下して加速度を付けて命中させる水平爆撃なら、戦艦の装甲を破れますが命中率は8%から10%でした。800kg爆弾は長門型の40cm砲弾と同等の威力を持っていましたが、当時のアメリカ主力戦艦であるコロラド級を撃沈するには、40cm砲弾16発の命中弾を与える必要があると見積もられており、そうなると艦攻の場合は160機から200機が必要な計算になります。しかし、たとえば真珠湾攻撃時の第一航空艦隊の艦攻は全部で140機そこそこでしたので、全力投入したとて1隻も沈められないことになってしまいます。

 急降下爆撃は命中率30%から40%でしたが、爆弾は250kgであり低高度から投弾するので、落下速度も遅く戦艦の装甲を貫くことはできず、もっぱら空母や小型艦艇、地上施設攻撃用とされます。

 どの方法も、戦艦を屠る決定打になりそうにありませんでした。

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最終更新:2019/12/9(月) 15:15
乗りものニュース

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