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ドライバーたちを惹きつけたポルトガルの公道レースコース

2019/12/9(月) 7:03配信

octane.jp

橋、踏切、そして急斜面を駆け昇る全長7kmのコース、ヴィラ・レアルは人々を虜にした。1970年にポルシェ910でのコースを走ったポール・ベスティ卿は「とても印象的な体験でした。練習の時には踏切で葡萄を積んだ蒸気機関車の通過を待たなければなりませんでしたが、レースでは汽車を待たせましたよ」とその体験を語ってくれた。
 
ヴィラ・レアルで初めてレースが開催されたのは1931年6月15日のことで、開会式は恒例であった街の祝賀会を兼ねて行われた。レースはアウレリアーノ・バリッガスの指揮のもと、市民の団体が運営に当たり、運営資金はACP(ポルトガル自動車クラブ:Automóvel Club de Portugal)の助力によって食肉に課税することで調達した。
 
第1回のレース、コッリダ・デ・アウトモヴェイスには10台が出場し、ガスパー・サメイロとエルコリオ・バルボサのフォード・モデルAが勝った。レースは毎年開催されてきたが、1950年にミッレミリアのヒーローであるジョヴァンニ・ブラッコがドライブするフェラーリ212エクスポートが優勝して以来、国際的に注目を集めるようになった。
 
レースが開催されなかった時期もあったが、スターリング・モスなど時のドライバーたちを惹きつける存在であり続けた。モスは、1958年にマセラティのジャン・ベーラを退けて優勝を果たしている。1968年には世界中からトップドライバーが参戦し、F3レースではテクノに乗ったレイネ・ウィッセルが勝利を収め、スポーツカーレースではローラT70のマイク・デウディが2年連続優勝している。1969年はシングルシーターのレースは開催されなかったが、1974年の軍事クーデターで中断するまで人気が絶えることはなかった。
 
3年後にサルーンカーでのレースが再開されたものの、もはやヴィラ・レアルの栄光の日々は過ぎていた。街の今を見れば、そこには激しい高低差にあらゆる形の障害物など、ここでレースが行われていたことが信じがたい光景が広がっている。スタート・ゴール地点だったガソリンスタンドから前方に目を凝らすと、オフィスビルに埋もれたコンクリートのグランドスタンドの面影が浮かび上がり、胸の高鳴りを覚える。
 
旧グランドスタンド前のストレートで一気に加速し、右ターンの急な下り坂に向かい、左へ右へとジグザクを通りぬけティンペイラの石橋を渡ると、街の境界線を抜け出る。
 
マテウス城までは昇り坂が続き、そして下りの区間が始まる。ほとんどの車がここで最高速度に到達するが、石壁を目の前にした急な左ターンの手前で強くブレーキを踏むことになる。そこから右に曲がり、次の左ターンまでストレートがあり、踏切と家々の前を通り抜けつつ急な右ターンがある。ちょっとしたジャンプをした後、川までは平らな道が続く。そして、道が急激に狭まり、1966年に掛けられた"メタリック橋"を渡る。
 
橋を抜けると"ソーセージコーナー"を右へと曲がるが、そこにはむかし肉屋があった。そこからゴールまでは短い昇り坂のストレートを残すのみで、ホッと一息つける。それにしても、この辺りをポルシェ917が駆け抜けていたとは走りとても想像しがたいのだが…。

Octane Japan 編集部

最終更新:2019/12/9(月) 7:03
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