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ボルカー元FRB議長死去、金融規制改革に貢献したインフレ戦士

2019/12/9(月) 23:40配信

Bloomberg

(ブルームバーグ): 1980年代に米連邦準備制度理事会(FRB)議長として米国のインフレを鎮静化させ、後のオバマ政権で金融規制改革に貢献したポール・ボルカー氏が8日に死去した。92歳だった。

ボルカー氏の娘、ジャニス・ジーマ氏の情報としてニューヨーク・タイムズ紙が9日に報じた。

ボルカー氏は半世紀以上にわたって財政・金融政策に携わってきた。財務次官として金本位制に替わる経済政策に貢献し、FRB議長としては狂乱物価との果敢な闘いで金融政策の金字塔を打ち立てた。米国が大恐慌以降で最悪のリセッション(景気後退)からの回復に苦闘する中、2009、10年にはオバマ政権下で新設された経済再生諮問会議議長として巨大銀行を相手取り、「ボルカー・ルール」と呼ばれる過剰リスクを制限する規則制定に尽力。この規制は広く金融界には疎まれ、トランプ現政権はこの抜本的見直しを最優先政策の一つに位置付けた。

オバマ大統領が起用

2010年1月、オバマ大統領は身長2メートルのボルカー氏と共にホワイトハウスで記者会見に臨んだ。商業銀行の活動に関する「単純で常識ある」改革を法制化することを議会に求め、新規則は「私の後ろに立っているこの背の高い男にちなんで『ボルカー・ルール』と呼ばれる」と述べた。

しかしボルカー氏は自身の名前を冠した金融規制の最終版が骨抜きにされることに失望し、11年2月に経済再生諮問会議議長を辞任した。

ボルカー氏は1927年9月5日に米ニュージャージー州ケープメイでドイツ系移民の孫として生まれた。同州ティーネックの高校を卒業し、49年にプリンストン大学で学位を取得。51年にはハーバード大学で政治経済・政府専攻で修士号を得た。52年までロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに留学した。

ポスト・ブレトン・ウッズに貢献

エコノミストとしてのキャリアは1952年にニーヨーク連銀で始まった。民間での職務を2度経験した後、再びワシントンに戻り、69-74年にかけニクソン政権の金融担当財務次官を務め戦後のブレトン・ウッズ体制を崩し、ドルの金本位制から変動相場制への移行に貢献した。その後75-79年にニューヨーク連銀総裁として米連邦公開市場委員会(FOMC)で最も積極的に利上げを訴え、インフレ戦士としての力を発揮し始めた。

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最終更新:2019/12/10(火) 1:14
Bloomberg

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