ここから本文です

B-29と並行開発された重爆撃機B-32「ドミネーター」 なぜ1年で消えてしまったのか?

2019/12/11(水) 6:06配信

乗りものニュース

B-29の保険を用意できたアメリカの工業力

 太平洋戦争終盤、日本各地を爆撃したことで広く知られるアメリカのB-29爆撃機は、爆弾を最大9t積んで、高度1万m以上を飛行することが可能な性能を有しており、戦略爆撃機として優れた性能を有していた機体です。

【写真】製造途中のB-32が整然と並ぶ、4発重爆の生産ライン

 B-29は約4000機生産されましたが、アメリカはB-29が万一失敗したときに備えて別の戦略爆撃機も同時並行で開発していました。それがB-32「ドミネーター」です。

 B-29は、確かにアメリカの技術力の高さを示す高性能機ですが、アメリカの凄さは、それが失敗したときに備えて、B-32という保険をしっかり用意していた点にもあるといえるでしょう。

 そもそも、第2次世界大戦前夜、世界各国で戦略爆撃は検討されており、当然アメリカも長距離渡洋爆撃機を考えていました。1939(昭和14)年9月に大戦が始まると、アメリカ国内で戦略爆撃機の開発を最優先すべきと意見が挙がります。

 1940(昭和15)年1月、アメリカ陸軍は各航空機メーカーに対して新型戦略爆撃機の開発を要求しました。しかし、大型機の開発には莫大な予算がかかります。バックアップ機の用意は、事実上、国家プロジェクトである戦略爆撃機の開発に失敗するわけにはいかないというアメリカの意気込みを示す証でもあったといえるのです。

本命B-29のバックアップとして開発開始

 アメリカ陸軍が出した、従来のB-17戦略爆撃機を上回る新型機の開発要求に応じたのは、ボーイング、コンソリーデーテッド、ロッキード、ダグラスの4社でした。しかし、ロッキードとダグラスの2社は設計のみで新型機の計画から降りたため、試作機の製作に移行したのはボーイングとコンソリーデーテッドの2社だけでした。

 新型爆撃機の本命はボーイング案でしたが、アメリカ陸軍はボーイング案のバックアップとして、コンソリーデーテッド案も量産することを決めました。こうしてボーイングの試作機XB-29とともに、コンソリーデーテッドの試作機XB-32も開発進行とともに量産ラインの構築が始まりました。

 1941(昭和16)年12月8日には、日本がハワイの真珠湾を攻撃したことで日米も第2次世界大戦に参戦します。XB-29とXB-32の両機種とも開発は難航しますが、XB-32はひと足早く1942(昭和17)年9月7日に初飛行しました。

 XB-29の初飛行は2週間ほど遅れた9月21日だったので、この時点ではXB-32の方が開発が先行していたことになります。しかし、与圧装置の不具合で、初飛行後にもたつくと、そのあいだに本命のXB-29が開発を完了させました。また大量生産体制も1944(昭和19)年3月下旬以降、ボーイングで本格的に動き出し、試作機を表す「X」が外されてB-29として同年5月8日より実運用に入りました。

 一方のコンソリーデーテッドのXB-32ですが、B-29が本格運用をスタートした時点で、その必要性が薄らぎ始めました。アメリカ陸軍はXB-32の位置づけを、B-29のバックアップから、B-17およびB-24といった大型爆撃機の後継に据えることとし、XB-32は与圧装置なしで量産することを決めました。

1/2ページ

最終更新:2019/12/12(木) 8:23
乗りものニュース

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事