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原貢氏によって築かれた『首都の盟主』東海大のつながり【1900年代編】

2019/12/11(水) 12:14配信

高校野球ドットコム

 東海大学野球部と言えば、読売巨人軍の監督に復帰した原辰徳監督と、その甥っ子であり巨人軍のエースでもある菅野 智之が象徴的な存在となっているが、その他のOBを見渡しても多士済々な顔ぶれが並ぶ。今回はそんな東海大野球部の歴史を振り返りながら、OBのつながりも見ていきたい。まずは、1990年代に卒業したOBから見ていこう。

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「首都の盟主」の基盤を作った故・原貢氏の存在

 東海大学野球部の歴史を語る上で、欠かすことが出来ないのが故・原貢氏の存在だ。
 今では「首都の盟主」の異名を全国に轟かせる東海大学野球部であるが、大きな盛り上がりを見せ始めたのは、故・原貢氏が息子である読売巨人軍・原辰徳監督の進学と共に東海大学野球部監督に就任してからだ。

 原辰徳監督の人気に引っ張られるような形で、東海大の名は一気に全国区となり、プロ野球選手の排出速度も一気に加速していった歴史がある。

 1980年、原辰徳監督の卒業時には、津末英明氏、市川和正氏の2名も同時にプロ入りを果たし、その後も井辺康二氏(現東海大野球部コーチ)や青山道雄氏、高野光氏に内田強氏といったプロ野球界で長く活躍を見せた選手が、続々とプロ入りを果たした。

 さらに内田強氏の1学年下には、現在、読売巨人軍のスカウト部長を務める長谷川国利氏がプロ入りし、さらに同学年には日立製作所野球部監督の和久井勇人監督や東海大学野球部前監督の横井人輝氏も在籍。

 その下の世代でも、現在の東海大学野球部監督を務める安藤強監督や、渡辺伸治氏や佐藤真一氏といったプロ野球選手が誕生し、現在の東海大菅生の監督を務める若林弘泰監督も1988年に東海大学を卒業した世代になる。
 1980年代のOBでも、日本の野球界を牽引する人材が揃っており、その多彩な顔ぶれに非常に驚かされる。

 そして1990年代に入ると、現在の東海大相模監督の門馬敬冶監督を輩出する。門馬監督は、東海大相模高校時代は主将を務めるも、大学時代は怪我のためマネージャーに転向し、監督に再就任していた原貢監督から薫陶を受けた。

 さらに門馬監督の2学年下には、後にメジャーリーガーとなり、WBCでもストッパーとして獅子奮迅の活躍を見せた大塚晶則氏が在籍。
 門馬監督の存在や、大塚氏の活躍が、2000年代の東海大学の隆盛の礎となったと言っても過言ではないだろう。

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最終更新:2019/12/11(水) 12:14
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