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死去した俳優の梅宮辰夫さん、少年時代は水戸に 「男らしく格好良かった」目立つ存在 同級生ら「梅辰」懐かしむ

2019/12/13(金) 11:05配信

茨城新聞クロスアイ

慢性腎不全のため12日に81歳で死去した俳優の梅宮辰夫さん。戦後、満州から引き揚げ、医者の父の職場があった水戸市に移り住んだ。茨城大付属愛宕小・中学校(現茨城大付属小・中学校)で小学4年から中学3年まで学んだ。地元の同級生や知人からは「男らしく格好良かった」と懐かしむ声が上がった。当時、仲間から「梅辰(ばいたつ)」などとあだ名で呼ばれ、目立つ存在だったという。

少年時代によく遊んだという人形店「祐月本店」会長の和田祐之介さん(79)によると、梅宮さんの家族は終戦後、同市末広町の米穀店倉庫を借り、医師だった父親の次郎さんが内科医院を開業。祐月と隣接していたこともあり、和田さんは「兄弟でよく遊んでいた」と懐かしむ。

その後、近くの同市八幡町に医院と自宅を新築した際にも「広い庭で鬼ごっこなどをした」。梅宮さんについて「先輩なので少し怖い一面もあったが、学校ではとても目立つ存在。仲間から『梅辰』などとあだ名でからかわれると、怒っていた覚えがある」と振り返る。

水戸商工会議所が約10年前から開く「黄門料理まつり」の第1回ゲストとして出演。当時、会頭を務めていた和田さんが東京の事務所へ依頼に行くと、「和田くんかあ」と懐かしんでくれ、2人で思い出話に花を咲かせたという。

小・中学校の同級生、武藤則子さん(81)=那珂市=は「男らしく格好良い人だった」と約65年前を思い出す。「中学の修学旅行で行った山中湖畔で馬をさっそうと乗りこなしていた。満州で乗馬の経験があったと言っていた。陸上競技の万能選手だった」

車を運転して登校したことがあり、先生を驚かせたという。「先生から梅宮さんも医者になると思われていた。生徒会長も務めていた」と振り返る。

「同窓会に2年に1回は出席していた。幹事を引き受けてもらい、都内の山城新伍さんのお店で開いたことがあった」と思い出す。「テレビに出るのは娘や孫のためにお金を残すためだと言っていた。豪快なイメージの一方で家族思いの面がある」と感じた。(清水英彦、前島智仁)

茨城新聞社

最終更新:2019/12/13(金) 11:11
茨城新聞クロスアイ

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