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政界であった2つの“節目”を考える

2019/12/15(日) 11:50配信

ニッポン放送

「報道部畑中デスクの独り言」(第164回)

ニッポン放送報道部畑中デスクのニュースコラム。今回は、安倍総理の在任期間記録更新と、中曽根元総理が死去した2つの大きな“節目”について―

想定される不信任案否決によって、「“終了感”を出してしまうと、勢いが萎えるのではないかという意見もあった」(立憲民主党・安住淳国対委員長)。野党にとっては「苦渋の選択」だったようです。

一方、政権与党は政府提出法案の大半が処理できたことを理由に、会期延長を見送りましたが、国民投票法改正案の審議が先送りになったのは残念なことでした。

この間、政界ではさまざまな出来事がありました。印象に残っているのは、安倍総理大臣が11月20日に在任通算(第一期と含めて)2887日となり、桂太郎氏を抜いて単独で総理在任日数の最長を更新したこと。そしてその9日後、11月29日には元総理の中曽根康弘氏が101歳で亡くなったことです。

中曽根氏についてはさまざまな論評がありますが、この2つの“節目”で痛感するのは、政権というものは長期~短期~長期と、まさに“輪廻”のごとくいまに至っているということです。

中曽根氏が総理に就任したのは1982年、「三角大福中」…当時の政界ではこんな言葉がありました。時の実力者である三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、そして中曽根康弘、五氏の名前からとったもので、この五氏はすべて総理を経験しています。

佐藤栄作氏が約7年8ヵ月、2798日の長期政権となった後、田中・三木・福田・大平各氏の順に政権のバトンが渡されましたが、この間は石油ショックに加え、ロッキード事件や自民党の四十日抗争などで政権は長続きせず、特に大平氏は1980年、在任中に急死するという事態になります。

後任には大平氏と同じ派閥の、鈴木善幸氏が総理に就任。微妙な政治力学の上で、派閥内禅譲という形になり、その約2年4ヵ月後に中曽根氏が就任しました。

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最終更新:2019/12/15(日) 11:50
ニッポン放送

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