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バスケ日本代表・比江島慎を救った田臥勇太の言葉。急逝した母に捧げたシュート、墓前で交わした“約束”

2019/12/15(日) 8:03配信

テレ朝POST

44年ぶりにオリピック出場を決めた、バスケットボール男子日本代表。その中で是非とも、覚えてほしい男がいる。 

オリンピックに繋がるワールドカップ予選で、日本代表の得点王になった宇都宮ブレックス・比江島慎(29歳)だ。

彼の最大の武器は、その名も「比江島ステップ」。顔の動きや目線に細かいフェイントを交え、独特のリズムのステップで相手を翻弄していく。

日本人離れしたそのステップのルーツは、小学校時代にさかのぼる――。

◆「比江島ステップ」の原点、支えてくれた母の存在

3つ上の兄を追って、7歳でバスケを始めた比江島。当時から「1対1」を好んでいたが、弱点だったのが“スピード”。

「小学校からスピードがないことに気づいていた。刻むしかないと、ステップを」と思った比江島は、細かなフェイントを入れて相手をかわすようになり、その工夫が彼の最大の武器である「比江島ステップ」を生み出した。

そんな比江島をいつも温かく見守り支えてくれたのが、母・淳子さん。2人の息子を女手ひとつで育て上げた淳子さんは、身を粉にして働き続けながら、比江島の試合には必ず応援に駆け付けたという。

しかし、シーズン終盤の去年4月21日。淳子さんは帰らぬ人となる。

「突然ですね。突発的な心臓発作というか。『ご飯作っておくね』みたいな感じでLINEがきていて。でも帰ったら息もしてなかった状態で…」

それでも比江島は、コートに立ち続けた。リーグ優勝をかけた決勝トーナメント、準々決勝。

当時、比江島が所属していたシーホース三河は、最終ピリオドで1点差に迫られていた。

すると残り20秒。比江島がステップからのジャンプシュート。これが決まり、比江島は天を指した。

「母の日というのもあったし。見てますか~?っていうか、やったよ!って」

母の日に捧げたシュート。この年、比江島は自身初のMVPに輝き、その授賞式では涙を流しながら母への感謝を語った。

「これからもお母さんのために、バスケットボール界の発展のためにも、もっともっと精進してみんなが納得してもらえるような選手になって、またアワード賞に帰ってきたいと思います」

ここから、名実ともに日本のエースへと成長した比江島。ワールドカップアジア地区最終予選では八村塁や渡邊雄太など海外組が不在の中、得点を量産。チーム最多得点の活躍でワールドカップの出場を決め、44年ぶりにオリンピックの切符も獲得した。

母の死を乗り越え、日本代表のエースとなった比江島。その未来は明るい――誰もがそう思う中、新たな試練が彼の前に立ちはだかった。

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最終更新:2019/12/15(日) 8:03
テレ朝POST

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