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帝京長岡「日本のビルバオ」を目指して 飛び級と15年一貫指導が生んだ絆と共通理解

2019/12/25(水) 16:36配信

REAL SPORTS

12月30日に開幕する第98回全国高校サッカー選手権大会において、2年連続7回目の新潟県代表の座を手にした帝京長岡高校。「長岡のサッカーのために」という明確な理念をもとにU-6年代から一貫指導の環境を持ち、日本のアスレティック・ビルバオを目指す彼らの挑戦の物語を追った。

(文・写真=土屋雅史)

名将・古沼貞雄からの連絡「ちょっと“長岡”に行ってみないか?」

名前も知らぬ越後の雪深き街に辿り着き、20年を超える月日が流れた。取り巻く環境は少しずつ変化し、周囲の見る目も変わってきたが、この地を訪れた時に貫こうと抱いた覚悟が揺らぐことは、決してない。『長岡をサッカーの街に』。お互いを15歳から知る谷口哲朗と西田勝彦の紡いできた物語は、まだまだ多くのストーリーが書き込まれていく余地にあふれている。

その出会いは恩師によって導かれた。大学の卒業を控えた谷口に、帝京高校時代の監督に当たる古沼貞雄から連絡が入る。「高校サッカーに骨を埋める気があるんだったら、ちょっと“長岡”に行ってみないか?」。母校での教育実習も経験し、教員としてサッカーに携わる意志を固めていたこともあり、ありがたくその誘いを受け入れる。

ただ、彼らの認識には小さくないズレがあった。「僕は大阪出身なので“長岡”って京都の長岡京のことだと思っていて。古沼先生に『ちょっと長岡に行く前に学校寄れ』なんて言われて、『何で大阪から京都に行く前に東京へ寄らなきゃいけないんだろう?』って思いながら、モノ申すこともできずに先生の所へ行ったら、『まあ上越新幹線に乗って行ったら2時間かからずに着くから』と言われて、そこで初めて新潟に“長岡”という場所があることを知ったんです(笑)」。

1996年。谷口の指導者キャリアは帝京長岡高校で幕を開ける。就任5年目には早くも高校選手権で全国大会出場を果たしたものの、3年間の指導だけでは伝えたいことを伝え切れないジレンマを抱えていたため、あるアクションを起こす。それはジュニアユースチームの設立。中学高校の6年間、あるいはそれ以上の月日を通じて、その時々に応じた細かな指導を施しつつ、何よりもサッカーの楽しさを共有していく。かねてから温めていたプランだったが、そのためには信頼の置ける指導者の招聘が何よりも大事だった。

「僕の中でははっきり言って選択肢もなかったし、理由を聞かれても『親友だから』という以外にないんだけど、断られる想定もしていなかったし、他を探すつもりもなかった」と谷口が声を掛けたのは、帝京時代のチームメイトでもあり、そのサッカー観に信頼を置いていた西田勝彦。谷口がベンチで経験した国立競技場での日本一をピッチで味わっている西田は、当時社会人チームでプレーしていたが、初めて帝京長岡が高校選手権に出場するとあって、応援も兼ねて練習を手伝ったタイミングとオファーが重なる。

「もう『谷口哲朗がいたから』って。それだけなんですよね。あのタイミングで行かなかったら、たぶん長岡には行っていなかったんじゃないかなとも思いますし」。覚悟を決め、親友の想いに応える。2001年、西田を監督に迎えた長岡ジュニアユースフットボールクラブ、通称“長岡JYFC”は産声を上げた。「長岡のサッカーのために」という明確な理念を携えて、U-6(園児)、U-12(小学生)、U-15(中学生)のカテゴリーを持ち、一貫指導を行える理想的な環境が整った。

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最終更新:2019/12/25(水) 18:30
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