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「見て盗む」。それが基本 松井 稼頭央が語ったPL学園の練習スタイル

1/12(日) 6:16配信

高校野球ドットコム

 1994年、西武ライオンズ入団後すぐに投手から内野手へと転向。たゆまぬ努力で3年目に遊撃手のレギュラーをつかむと、2004年からMLB3球団を渡り歩いた7年間でも日本人3位となる615安打を記録。
2011年から所属した東北楽天ゴールデンイーグルスでも、2013年の日本一に大きく貢献した松井 稼頭央氏。
そのベースとなっているのは、名門・PL学園で培った自主練習である。

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 では松井氏は高校時代、どんな取り組みを行っていたのか?これまで数多くのプロ野球選手を輩出したPL学園の自主練習スタイルも含め語って頂きました!

――まず松井選手の高校時代は、どのような自主練習をしていたのですか?過去にPL学園出身の選手に話を聞いたところ、朝4時に起きて、練習をする話を聞いたのですが……。

松井 僕らの時代は朝練もバリバリ練習するわけではなく、体操など軽い練習をしていました。

 当時の中村 順司監督(現:名古屋商科大学監督)の方針は「朝ごはんを美味しく食べよう」でしたから、少し動いて、朝ごはんを美味しく食べ、きちんとした生活習慣を身に付けるのが目的だったと思います。6時起床で、10分後には軽いウォーキングをやって、朝食に入るという流れでした。

――ちなみに、中村監督からは他にどんな教えを受けましたか?

松井 中村監督は「野球人である前に一人の人間であれ」といつもおっしゃっていました。とても挨拶に厳しい方でした。寮でも上下関係があり、あとは団体生活のルールも厳しかったです。ひとつの屋根の下で生活していくと、本当の顔が見えてきます。
だからこそ、お互い助け合うなど、縦同学年の横のつながりも共同生活では大切にしていかないといけないことを学びました。

――全体練習やその後の自主練習はどうでしたか?

松井 当時の全体練習は15時ぐらいに始まります。全体練習のとき、技術的な部分と体の使い方は、中村監督やコーチの方からとても分かりやすく教えていただきました。19時で全体練習が終わると、そこから自主練習に入ります。僕は投手でしたからシャドーピッチングやランニング、ウエイトトレーニングを中心にこなしていました。

――自主練習のメニューは自分自身で決めていましたか?また、どう組み立てていましたか?

松井 自分で決めていました。自分でやりたいメニューをリストアップして、こなしました。比較的、他の選手と比べてウエイトが多かったと思いますね。組み立てについてはそこまで深く考えていなかったと思います。ウエイトは2日に1回のペースでやっていました。

 あと、シャドーピッチングはしっかりやりましたよ。グラウンド近くの建物の入口にガラス戸があって、登板した後もシャドーは必ずやっていました。

――PL学園における自主練習の特徴はありますか?

松井 PL学園の自主練習は先輩と付き合ってすることが多かったですね。例えば先輩のティーに付き合ったときに、トスをしながら、先輩の打撃を見て、学ぶんです。
自主練だと、懇切丁寧に教えるわけではありません。「見て盗む」。それが基本です。自分が上級生になっても、それは変わりませんでした。

――振り返ると、周りの仲間、野手でもいいのですが、成長している選手はこういう意識で臨んでいたというのはありますか?

松井 みんな「うまくなりたい、負けたくない」と思ってやっていましたね。僕らの学年は部員数が15人~20人とそれほど多くなかったので、まとまりもあったと思うし「このチームで甲子園行きたい!」という思いでやっていました。

 しかも、僕らの代はボーイズ、シニアのエースや主砲ばかりでしたし、投手は8人もいたんです。しかもみんな結果を残している選手ばかりでしたので、ますます「負けたくない、エースになりたい」という思いが強かったです。こうして仲間と競争をしていくうちに、ライバルだけれど、友情も深まっていきました。

――今のようにインターネットがなく、情報が閉ざされた中で、上達の鍵を見つけるのも大変だったと思います。

松井 そうですね、インターネットもないですし、当時のPL学園では1年生はTVも見れないんです。外の世界が全く分からなかった。だから、目の前のお手本である2、3年生の先輩たちの動きを見て盗んだりしていました。

最終更新:1/12(日) 6:16
高校野球ドットコム

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