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「復興五輪」と被災地の現状に隔たり 出身選手「帰りたいのに帰れない」

1/12(日) 20:42配信

京都新聞

 「東日本大震災から8年9カ月の時間を刻みました。全国からご支援をいただき、ここに立たせてもらっている」。昨年12月15日。福島県の広野町と楢葉町にまたがるサッカー施設「Jヴィレッジ」(JV)を発着点とするハーフマラソン大会で、広野町長、遠藤智(58)は実感を込めてあいさつした。

 ■「JV」再開に感慨

 JVは東京五輪の聖火リレーの出発点で、「復興五輪」の象徴とされる場所だ。東京電力福島第1原発から南へ約20キロにあり、震災による事故後、収束作業の拠点に。天然芝は駐車場になり、作業員の寄宿舎が立ち並んだ。
 8年の時を経て昨年4月、全面的に営業を再開。全天候型練習場やホテルも整備された。ハーフマラソンにゲスト参加した2004年アテネ五輪陸上代表で会津若松市出身の佐藤光浩(39)=乙訓高教諭=は「感慨深かった。ここが聖火リレーのスタート地点と聞いてうれしい」。県内では福島市の県営あづま球場が五輪の野球・ソフトボールの会場になり、佐藤は「スポーツには人を助ける力がある」と力を込める。
 2100人超のランナーの中には、楢葉町で生まれ育った東京電力元社員の男性(58)の姿もあった。あの日、福島第2原発で揺れを感じ、すぐに第1原発に事故対応の応援に向かった。「よくぞここまで復興したと思う。こうやって人が集まりうれしい」。ただ、晴れない表情に、事故を起こした組織の一員でもあった葛藤が見て取れた。
 「北の方には行きましたか。全然様子が違いますよ」。男性は別れ際、記者に告げた。その言葉を確かめるため、県東部を南北に走る国道6号を北上した。

 ■「帰還困難」家失う

 JVから楢葉町を抜け、富岡町から福島第1原発が立地する大熊町へ入る。歩道には放射線量が高く避難を求められる「帰還困難区域」の看板。脇道はバリケードで封鎖され、家屋は朽ち、屋根が落ちたまま。汚染土を詰めたとみられる黒い容器が無数に積まれている。人影は監視員以外に見当たらない。JVからわずか20キロ。まばゆい「復興の象徴」の足元には、厳しい現実が広がっていた。
 大熊町から約200キロ。陸上の実業団ルートインホテルズの坂本ちほ(23)は、五輪開催を控えて熱気を帯びる東京都内で走っていた。大熊町出身。全国女子駅伝では福島代表として都大路を走ったこともある。家族は現在、いわき市に暮らし、坂本は帰還困難区域内にある実家には震災後、一度も戻っていない。
 五輪が被災地の復興と結びつけて語られることにも「特に関心はない。被災しても、していなくてもやることは一緒だから」と気丈に語る。大熊町の実家はこの秋、取り壊しが決まった。「帰りたいのに帰れない感じはある。一度は見ておきたかった」。少しだけ、うつむいた。=敬称略

<シリーズ:ゆらめく聖火 東京五輪の風>

最終更新:1/13(月) 0:00
京都新聞

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