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90年代最強だった「自由が丘」の自由じゃない現在

1/13(月) 19:30配信

アーバン ライフ メトロ

90年代の東京で最強だった

 自由が丘といえば、東京人だけでなく全国の人々に知られたセレブ地帯です。青山や原宿、吉祥寺とならぶ若い女性の好きな街の定番……だったのは1990年代末くらいまでのこと。今は次第に庶民化が進行しています。

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 全盛期の自由が丘の「地位」はとても高く、新宿や渋谷はもちろんのこと、青山や原宿よりも神々しさを放っていました。

「新宿や渋谷で遊ぶなんて考えられない。青山とかも人が多くてイヤ。だから本当にお金を持っているなら、自由が丘で遊ぶのがカッコイイ」

 90年代には、そのような言葉を実際に口にする人もいました。90年代といえば渋谷という地名自体が、最高におしゃれなブランドのように思われていました。その時代にあって、唯一渋谷を超えるのが自由が丘でした。「自由が丘のセレクトショップで~」と口にできるのは、バブル景気が終わってもなお余韻の中で生きている、限られた人たちだけだったのです。

 その時代、自由が丘に集まる若者の定番といえば、男はラルフ・ローレン。女はミス・アシダやマーガレット・ハウエルあたり。「こないだ銀座の英國屋でスーツを仕立てたよ」という会話も当たり前に交わされていました。

自由が丘の前は「自由ヶ丘」だった

 このような人たちが渋谷には行かないのは、単に渋谷を見下しているからではありません。「人が多すぎるから」というのがその理由でした。昨今のいきなりSNSを使って100万円を配り始める人たちとは違い、心に余裕があるお金持ちが集まるのが自由が丘だったのです。そういうわけで、自由が丘にはお金持ち向けのさまざまな店が乱立するようになりました。

 自由が丘は、東急電鉄の前身である東京横浜電鉄の駅が開通した1927(昭和2)年から始まった街です。それまでの自由が丘は、荏原(えばら)郡碑衾町(ひぶすままち)大字衾字谷畑中(やばたなか)という田園地帯でした。ちなみにその頃の風景は、現在の熊野神社(自由が丘1)の境内からしのぶことができます。

 鉄道の開通に併せて開設された駅は、九品仏前駅と命名されました。

 そして1929(昭和4)年、新たに目黒蒲田電鉄が現在の大井町線である二子玉川線を開通すると、九品仏の門前に新駅ができたために、九品仏前駅は衾(ふすま)駅に改称することとなりました。

 ところが、もっと通りのよい駅名を求める声が強くなったため、近くにあった自由主義教育を掲げる学校「自由ヶ丘学園」にちなんで、自由ヶ丘駅となったのです。このときの住民たちの未来を見通す目は優れていました。もしも衾駅だったら、その後の発展はなかったでしょう。

 そして、宅地化が進むとともに周囲の農村部も地名を改めることになり、こちらも1933(昭和8)年に大字自由ヶ丘に。その後1965(昭和40)年に、「自由が丘」に改称されたことで1966年、駅名も併せて自由が丘となりました。

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最終更新:1/14(火) 12:13
アーバン ライフ メトロ

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