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【瓦礫の教えはいま 震災25年】救えた命救うため 災害医療を一変させた「阪神」

1/14(火) 19:00配信

産経新聞

 平成7年1月17日早朝、神戸市消防局生田消防署の救助隊長だった岡田幸宏・西消防署消防司令長(55)は、瓦礫(がれき)の街となった三宮で葛藤していた。

【表】6434人の人命が失われた阪神大震災

 目の前には家屋の下敷きになった高齢女性。そばで泣き崩れる男性に「母が埋まっている。早く出して」と懇願された。「出さなければ」。女性はすでに死亡しているようだったが、救助のプロとしての使命感にかられた。だが、限られた機材を使い仲間と手を尽くしても、女性の上にのった太い梁(はり)は一向に動かない。

 3時間以上費やしただろうか。周りには瓦礫の下で助けを求める大勢の生存者がいる。「他の人を救出させてほしい」。女性に毛布をかぶせた。救助隊員として初めて任務を完遂せずに現場を離れた瞬間だった。

 しかし、転戦先で救出した人の多くは、すでに冷たくなっていた。「さっきまで声が聞こえたのに」。悲しみに暮れる家族の声に胸が締め付けられた。

 「一人より多くの人を助けたい。二度とあの悔しさを味わいたくはない」。時間の重みを知った今なら、迷わず多くの生存者を選ぶと、岡田さんは言い切る。

 ■緊急援助隊創設

 6434人の人命が失われた阪神大震災では、平時のレベルの医療が提供されていれば、約500人が救命できた可能性があったと指摘されている。膨大な救助・救命の需要と、限られた資源との間に生じた大きなアンバランス。そこから生まれた苦悩や無念が教訓として残された。

 生存者救出のタイムリミットとされる「72時間」や現場で救命の優先順位を判断する「トリアージ」、建物の耐震化、災害対応ロボット(レスキューロボット)の開発もその一例だ。

 救助人員を確保するため広域応援体制の整備も進んだ。7年6月には緊急消防援助隊が創設され、人命救助や補給、消火、指揮支援など専門の精鋭部隊が都道府県ごとに編成された。

 これまで東日本大震災や熊本地震など計40回出動。近年多発している豪雨災害などへの対応のため、今年度から新たに土砂風水害に特化した支援部隊を創設したほか、南海トラフ巨大地震も見据え、令和5年度までに登録隊員数を現在の2万4千人規模から3千人程度増強する計画だ。

 ■DMATの誕生

 災害医療もまた、阪神から学び、大きく前進した。

 「入力する被災情報で、病院の安否確認や、必要な支援の判断ができる。正確な入力を心掛けて」

 昨年12月中旬、兵庫県災害医療センター(神戸市中央区)で行われた災害派遣医療チーム「DMAT」の隊員養成研修。広域災害救急医療情報システム「EMIS」の入力方法や通信手段の確保、トリアージの手法など、さまざまな救命医療の手法を伝える講師を務めるのは阪神大震災を経験した医療関係者たちだ。

 「あのとき、僕たちはぶっつけ本番だった。準備と情報さえあればもっと打って出る医療ができた」。当時、神戸大病院の救急部の医師で現在は西日本のDMAT研修の責任者を務める中山伸一・同センター長(64)はこう振り返る。

 DMATは災害直後の救急医療体制の充実強化を図るため平成17年に誕生。発生からおおむね48時間以内の急性期に活動し、重症外傷患者らへの対応や搬送支援を行うほか、各病院が連携できるよう迅速に組織化する役割を担ってきた。国立病院機構災害医療センター(東京)副災害医療部長の近藤久禎・DMAT事務局次長(49)は「被災地の病院が救命機能を維持できるよう、“燃料”を入れていくのがDMATの役割だ」と表現する。

 ■連携強化に課題

 一方で運用が進めば課題も見つかる。東日本大震災では、阪神のような外傷ばかりではなく慢性疾患が多かったことや、派遣長期化などの課題が浮き彫りになり、熊本地震では避難者の車中泊対策も問題化した。

 その結果、現在は急性期以降も活動し、幅広い医療ニーズに対応する組織に進化。DMATのほかにも災害派遣精神医療チーム(DPAT)や保健・福祉など中長期的な医療を担う多様な専門チームが誕生していることから、避難生活や経済支援などを含めた関係機関のさらなる連携強化は喫緊の課題だ。

 中山医師は強調する。

 「僕たちが急性期だけ命を救っても、その後の死を防ぐことができなければ意味がない。『避けられた死』をなくすため、過去から学び、次の災害に備えることが何より重要だ」

 阪神大震災は、その後各地で発生した大規模災害の「入り口」でもあった。あの日から25年。瓦礫の街で得られた多くの教えは生かされてきたのか。

最終更新:1/14(火) 19:00
産経新聞

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