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【1・17の記憶】「想定外」は言い訳 6400人を超える犠牲「減らせたはずだった」―25年目の反省

1/14(火) 10:00配信

神戸新聞NEXT

 6434人の命を奪った阪神・淡路大震災は1995年1月17日に発生した。
 戦後初の都市直下型地震であり、36年ぶりに国内の犠牲者が千人を超える自然災害だった。人々が災害の恐ろしさを忘れたころにやって来て、その後の「災害多発時代」の幕開けを告げた。
 あれから25年。私たちは災害と災害の間の時代「災間」を生きている。問われているのは、「災前」の備えだ。「災後」の歩みを「災前」の社会に根付かせられているか。
観測史上初となる震度7の揺れに見舞われた被災地だが、事前に想定されていた震度が「5の強」だったことを覚えている人はもう少ない。
 「もう『想定外』という言い訳をしてはならない」。四半世紀にわたる復興の歩みから得られた教訓とは。

【写真】香川真司、原点は被災地で見たカズ

◆神戸市の甘い想定、被害を拡大

 阪神・淡路からちょうど1年後、「神戸黒書」という名の本が出版された。市民や学識者ら執筆グループは、神戸市が地震の想定を甘く見積もり、被害を拡大させたと痛烈に批判した。「6200人を超える犠牲をもたらした責任は、明らかに行政と、行政に同調した学者にある」。防災学者で兵庫県立大大学院減災復興政策研究科長の室崎益輝(よしてる)(75)は、神戸市と「談合」し、「開発優先」の被害を招いた“共犯者”に名指しされる。

 「株式会社神戸市」。その都市経営の手法から、かつての神戸市はこうもてはやされた。
 1966年、人工島・ポートアイランド着工。港湾機能の強化と新たな都市空間の創造を目指し、海の開拓に乗り出した神戸市の戦略は、高度成長の波に乗って大当たりする。六甲山を切り崩した土砂で埋め立て地を造成する土地開発は「山、海へ行く」のキャッチコピーで耳目を集める。70年代には神戸港のコンテナ取扱個数が世界2位に。81年の「神戸ポートアイランド博覧会」(通称・ポートピア‘81)には、1600万以上もの人が足を運んだ。神戸市は都市開発行政の先駆者として脚光を浴びる存在だった。

 「先生、神戸は洪水なんですよ。洪水の対策が『主』で、地震は『副』ですから」
85年に始まった神戸市防災会議の地震対策部会。専門委員の地震学者に対して神戸市職員が発した言葉が、時代の空気を映していた。関西では地震は起きないという「迷信」。その虚を突くように、阪神・淡路大震災の揺れが襲った。

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最終更新:1/14(火) 12:14
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