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ソフトバンク3位津森はサイド転向1年で開花「本当はサッカーを」

1/14(火) 12:02配信

西日本スポーツ

 ソフトバンク2020新人紹介 ドラフト3位・津森宥紀(上)

 4年連続日本一を目指すソフトバンクに12人(支配下5人、育成7人)のルーキーが入団した。球団では41年ぶりに外野手の1位となった佐藤直樹をはじめ、支配下選手は社会人、大学生の即戦力候補が4人。1年目の活躍も期待される顔ぶれとなった新人たちの横顔を紹介する。(文中敬称略)

【写真】小学校時代の津森

 1998年1月21日。津森家に生まれた第1子は宥紀(ゆうき)と名付けられた。父正喜(46)にとって待望の男の子だった。「僕も中学時代に肩を壊すまでは野球をやっていた。子どもができたらキャッチボールをしたいと思っていたんです」

 その言葉通り、津森は物心ついたころから白球に囲まれた日々を過ごした。自宅ではキャッチボールが日課。正喜が草野球に出掛ければ一緒について行った。小学3年になり、父がコーチを務める地元和歌山市のスポーツ少年団に入団した。「本当はサッカーがやりたかったけど、それを言うと父がすねたような悲しい表情をしたので野球を始めました」。幼心に父の思いを感じ取っていた。

 少年団では投手、捕手、一塁手としてプレーし、中学に上がると硬式ヤングリーグのチーム、和歌山ビクトリーズへ。2年から投手に専念し全国大会にも出場した。「普段はチームメートにいじられるタイプなのに、マウンドに立つと“オラオラ系”に変わる。MからSに自然とスイッチが変わるんですかね」と正喜は懐かしそうに振り返る。津森自身が「一番の持ち味」と言うマウンド度胸はこのころから備わっていた。

 「地元の高校から甲子園に出たかった」。そんな思いで強豪、智弁和歌山高への進学を夢見たがかなわず、野球部創設4年目で全国大会の実績もない和歌山東高へ進んだ。1年秋、野球人生で一番の転機が訪れる。当時、チーム在籍の投手は全員が右投げかつオーバースローだった。「(津森は)体の使い方が横回転で、サイドから投げたほうがしっくりいくんじゃないかと」。監督の米原寿秀が下した決断は吉と出る。

 2年秋の公式戦、相手は智弁和歌山高。先発マウンドにはサイドスロー転向1年の津森が上がった。球威抜群の直球で右打者の内角を果敢に攻め、強力打線を力で押さえ込む。2失点完投勝利。チームも同校相手に初の白星を挙げた。新鋭校による“ジャイアントキリング”の大金星に周囲はざわついたが、米原は冷静だった。「津森が自分の力を出せれば抑えられると思っていたから驚きはなかった。それだけのポテンシャルは持っていた」。4年後、同校から初のプロ野球選手となる右腕は大学でさらに飛躍することになる。 (長浜幸治)

(下)につづく

西日本スポーツ

最終更新:1/22(水) 14:22
西日本スポーツ

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