ここから本文です

深夜のトレード通告に男泣き/殿堂入り田淵氏略歴

1/14(火) 21:32配信

日刊スポーツ

球界の功労者をたたえる野球殿堂入りが14日、都内の野球殿堂博物館で発表され、エキスパート部門で阪神、西武などで活躍した田淵幸一氏(73=野球評論家)が選出された。

【写真】星野氏のレリーフの前で野球殿堂入りを報告する田淵氏

   ◇   ◇   ◇

▽田淵幸一(たぶち・こういち)

▼生まれ 1946年(昭21)9月24日、父綾男さん、母花江さんとの間に生まれる。東京都豊島区出身。

▼中学2年で5番 高田中で野球を始め、2年生で5番を打つ。

▼高校で4番 法政一では強打の捕手として4番を務める。しかし甲子園には出場できなかった。

▼大学で大活躍 進学した法大では1年春からリーグ戦に出場し、スラッガーとして活躍。通算22本塁打の東京6大学記録を作る(97年に高橋由伸が更新)。山本浩二、富田勝とともに“法政3羽ガラス”と呼ばれた。

▼阪神から1位指名 68年10月12日のドラフト会議で、阪神から1位指名を受ける。巨人入りを熱望していた田淵はいったんは入団を拒否するが、指名後に巨人スカウトと会っていたことが判明するなどで最終的に阪神入り。

▼新人王 69年にデビューすると、打率2割2分6厘ながら22本塁打を放ち、捕手としてプロ野球初の新人王を獲得した。

▼死球 70年8月26日の広島戦で、外木場投手から左側頭部に死球を受けこん倒。「左側頭葉挫傷、頭がい内血腫(しゅ)で全治3カ月」の重傷を負った。

▼本塁打王 74年に45本塁打を記録すると、75年には43本塁打を放ち初の本塁打王を獲得、巨人王の14年連続本塁打王を阻止した。

▼深夜の通告 1978年(昭53)11月15日深夜、ホテル阪神に呼び出され、球団社長から西武へのトレードを通告される。田淵は報道陣を前に男泣き。

▼タブチくん 田淵をモデルにした、いしいひさいち氏の4コママンガ「がんばれ!!タブチくん!!」が人気に。79年にはアニメ映画化もされた。

▼再婚 81年12月にモデルのジャネット八田(有加)と結婚した。

▼正力賞 82、83年の西武の連続日本一に貢献し、83年には正力松太郎賞を受賞。

▼引退 84年10月1日に現役引退を表明した。

▼監督 評論家を経て90年から92年までの3シーズン、ダイエー(現ソフトバンク)の監督を務める。6位、5位、4位とAクラスには入れなかった。

▼盟友と 阪神星野監督誕生とともに02年に阪神のチーフ打撃コーチに就任。03年のリーグ優勝に貢献した。

▼オリンピック(五輪)でもタッグ 08年の北京五輪で、星野監督の下、日本代表のヘッド兼打撃コーチを務める。チームは準決勝で敗退しメダルを逃す。

▼OB会長 09年11月に、安藤統男氏から引き継ぎOB会長に就任。10年まで務めた。

▼楽天でも 11年の星野氏の楽天監督就任で、ヘッドコーチとなる。12年限りで退団。

最終更新:1/14(火) 23:55
日刊スポーツ

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事