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阪神大震災でボランティアセンターを開設した大阪・豊中市 「その後の災害のモデルケースに」

1/15(水) 10:50配信

産経新聞

 阪神大震災から17日で25年。大阪府で最大規模の被害が出た豊中市では、現在、市社会福祉協議会で福祉推進室長を務める勝部麗子さんが、発生から間もない時期に初めて災害ボランティアセンターを立ち上げた。各地からやって来た人たちを必要な場所に振り分け、約4カ月間、ほぼ休みなく働いた。震災が起きた平成7年は「ボランティア元年」と呼ばれる。勝部さんは「大災害には多くの人たちの助けが必要で、その後の災害のモデルケースになった」と振り返る。(張英壽)

 震災当日の1月17日午前5時46分。市内の自宅マンションにいた勝部さんは激しい揺れで飛び起きた。タンスが倒れ、ベランダに置いていた電気温水器が窓ガラスを突き破った。

 マンションでは、住民らが声を掛け合って安否を確認し、タンスの下敷きになった高齢女性を助け出した。明るくなってきた屋外には、屋根が落ちた建物や亀裂が入った道路など凄惨な光景が広がっていた。

 勝部さんは当時、地域の福祉に取り組む市社協に入って7年余り。自宅の整理などをした後、午後に出勤した。直後から「何か手伝えないか」という問い合わせは数件来ており、1月26日に市社協が、災害ボランティアの受け入れ窓口となる「震災支援ボランティアセンター」を開設した。

 ただ、マスコミの報道は当初、神戸市など兵庫県の被災地が中心で、問い合わせは多くなかった。そんな中でも豊中市の被害が取り上げられるようになると、「九州や東京など遠方のボランティアが来るようになった」と思い起こす。

 だが、現在のようにはインターネットが普及していなかった時代。情報発信がうまくいかず、混乱もあった。

 「たとえば救援物資。今はSNSなどで必要なものや数を発信できるけど、当時はそんなことはできなかった。食べ物や洋服など雑多なものを一緒に入れて送ってくることもあった」

 センターは、ボランティアの人たちを、大量に届いた救援物資の仕分けや避難所支援、在宅の高齢者らの世話などに割り振る業務を続けた。解散したのは5月下旬。市社協のスタッフは勝部さんと上司の2人だけで、土、日曜日もほとんど休まなかった。

 国内で災害ボランティアが本格的に動き出したのは阪神大震災が初めて。その経験が教訓となり、各地で多発した災害でも活躍するようになった。

 「災害の初期にはボランティア活動はとても重要」と話す勝部さんだが、一方で、「1人暮らしの高齢者ら災害弱者は、その後も長期的に安否確認をするなど見守っていかなければならない」とも指摘する。

 その思いから市社協は、市内の1人暮らし高齢者ら約1万2千世帯を、住民が継続的に見守るネットワークを構築。一昨年6月の大阪北部地震では、約4時間で安否確認ができた。「人間が生きていくには、人と人とのつながりが不可欠」と強調した。

 豊中市によると、阪神大震災での市の被害は死者11人、重軽傷者2496人、全半壊家屋4922棟。全半壊家屋は大阪府の自治体で最も多かった。当時、市内に気象庁の正式な震度計は設置されていなかったが、震度は5弱~6弱だったと推定される。

最終更新:1/15(水) 10:50
産経新聞

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