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日米安保条約改正60年、日本の不安

1/15(水) 12:13配信

ハンギョレ新聞

安倍首相の母方の祖父、岸信介元首相が1960年に締結 日本経済繁栄の土台の一つ  米国の影響力衰退と米国第一主義に 日本の保守派、日本の力量強化の声も

 「日米同盟の発展を嬉しく思う。引き続き日米同盟が強固なものであるよう願っている」

 ロナルド・レーガン政権時代に国務長官を務めたジョージ・シュルツ(99)は、米サンフランシスコを訪問した日本の茂木敏充外相を迎え、13日に「米国と日本との間の相互協力及び安全保障条約」(以下、日米安保条約)締結60周年の祝いの言葉を述べた。日本政府は日米安保条約60周年を迎える19日に記念行事を開き、これを祝う予定だ。しかし、第2次世界大戦敗戦後、日本の経済的繁栄と安全保障の土台だった日米安保条約の未来については、不安な視線を送る日本人が少なくない。

 自衛隊幹部の養成教育機関である防衛大学校校長を務めた五百旗頭真氏は、昨年10月に開かれた日本国際政治学会で「日米同盟は永遠だと漠然と考えてきたが、トランプ大統領のような人が出てくるとそうではない。永遠の同盟というのは存在しない」と述べたと、13日に朝日新聞が伝えた。同紙は、学界の重鎮である五百旗頭氏のように日米同盟を重視してきた人々の中で最近、日米同盟に対する憂慮が広がっているとも伝えた。

 安倍晋三首相の母方の祖父である岸信介元首相が1960年に締結した日米安保条約は、1951年のサンフランシスコ講和条約とともに米国と日本が結んだ安全保障条約を改正する形で実現した。岸は太平洋戦争当時、A級戦犯容疑者として収監されたが、米国の占領政策の変化によって政界に復帰して首相にまでなった人物で、自民党内でも右派的性向が強かった。岸は米国と以前よりも対等な関係を作りたがっており、60年の新安保条約に米国の日本防衛とこれに伴う日本の協力を規定した条項を入れた。

 日本における戦後最大の市民運動である「安保条約反対闘争」の中で締結された日米安保条約は、その後の日本が安保政策を米国に依存する代わりに経済発展を遂げる土台の一つとなった。米国は昨年9月現在、国外駐留米軍17万4千人のうち最大の5万5245人を日本に駐留させるなど、日本の基地を軍事的に大いに活用してきた。

 日米安保条約は、初期には日本国内での米軍への基地提供義務が強調されていたが、米国の影響力の衰退とともに米国による自衛隊の役割強化要求がだんだんと強まっていった。日本も米国の要求に応え、自衛隊の役割と活動範囲を拡大し続けている。岸首相の孫である安倍首相は2015年に集団的自衛権行使のための安保法制制定・改正案を通過させ、自衛隊の活動範囲を大幅に拡大した。一方で日米同盟を強調する外交政策は、米国第一主義を主張するトランプ政権による高額兵器購入要求などの各種の求めを受け入れるという代価を支払わなければならなかった。

 日本の保守派は、日米安保条約に基盤を置く日米同盟が日本外交の基本であり、中国牽制のためにも米国との関係は必須だと考える。ただ、米国の影響力の衰退に備えなければならないという認識を持っているケースも多い。トランプ大統領が昨年6月の米国メディアとのインタビューで「米国が攻撃を受けても、日本はソニーのテレビで見守っているだけ」と述べたことなども日本の不安を煽っている。民主党政権で外相を務め、党内右派とされていた前原誠司(現国民民主党所属)は、14日付の毎日新聞に掲載されたインタビューで、日米安保条約について「米国の日本に対する防衛義務が明確にされた。旧ソ連の世界戦略に対抗する意味において極めて大きな役割を果たし、極めていい改正」、「一方で、対米依存を過度に高めていってしまった。マイナス面もある」と評価した。
東京/チョ・ギウォン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

■日米安保条約60周年年表
▽1945年8月15日=日本降伏
▽1951年=サンフランシスコ講和条約、「日本と米国との間の安全保障条約(旧日米安保条約)」締結
▽1958年=岸信介首相が安保条約改正を推進
▽1960年
-1月「日本と米国との間の相互協力及び安全保障条約(新日米安保条約)」締結
-6月「安保条約反対闘争」激化の中、国会が条約承認
▽1970年=安保条約有効期限10年経過後、自動延長
▽2010年=安保条約改正50周年。オバマ米大統領、日米同盟の世界的規模での協力を強調
▽2014年=オバマ米大統領「尖閣諸島は安保条約の適用対象」発言
▽2015年=安倍政権、集団的自衛権行使のための安保法制制定・改正案を強行可決
▽2020年=日米安保条約改正60周年

最終更新:1/15(水) 12:13
ハンギョレ新聞

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