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阪神・淡路大震災から25年 曲を作る使命があった…歌い継ぐ震災復興の希望の歌

1/17(金) 9:00配信

デイリースポーツ

 阪神・淡路大震災発生直後、亡くなった人々と助かった人々への痛切な思いをひとりの教諭が曲にして表した。「しあわせ運べるように」。当時、神戸市立吾妻小学校に勤務していた音楽教師・臼井真が作詞作曲した。臼井の自宅は全壊し、同校は被災者約2000人が身を寄せる避難所となった。心安まる場所が一瞬にしてなくなった。「死んでいた方が楽だったのでは」。不吉な考えを払って書き上げた曲は東日本大震災や熊本地震の被災地でも歌われ、世界の被災地に広がった。震災から25年。臼井を神戸市内の小学校に訪ねた。=敬称略=

 臼井は人なつっこい笑顔で職員室から現れた。時刻はちょうど下校時。急ぎ足で帰途につく子ども達に臼井はさりげなく目を配りながら音楽教室に案内してくれた。

 室内には、「しあわせ運べるように」というタイトルの原点となった「しあわせを運ぶ天使の歌声合唱団」の手書きプラカードがあった。震災前、臼井が指導していた校内合唱団の子ども達が校外で歌を届ける活動をしていた。臼井は「その時に使っていたものです」と懐かしそうに見つめた。

 小学教師になって13年目の冬、阪神・淡路大震災が発生した。神戸市東灘区にあった築25年の自宅は全壊。「1階がつぶれて2階が1階になった。1階で朝食を終えて2階に上がった2分後だった」。そのまま1階にいたら「死んでいたかもしれない。思い出すと今でも震える」。自宅が一瞬にしてなくなるという現実に、すぐには仕事に戻れなかった。近くの親類宅に避難し、発生から数日後に吾妻小に出勤。同僚から「死んだと思った」と抱きしめられた。

 同校は被災者2000人が身を寄せる避難所になっていた。校長が「戦場」と表現するほど緊迫していた。同僚達はそれぞれすでに役割が決まり、臼井は電話対応などを任された。しかし、発生から数日遅れて現場に加わったことによる「出遅れ感」が臼井の心をさいなむ。「ぜんぜん役に立ってなかった。働いてはいたけど宙に浮いているような。精神的におかしくなりそうな感じだった。死んでいた方が楽だったと思うくらいつらかった」。

 親類宅と同校を往復する日々が続いたある日、テレビ画面に映った三宮の映像に衝撃を受けた。「幼い頃から慣れ親しんだ神戸の街が消えた」。そばにあった紙とペンを持ち、一気に詞を書いた。

 〈地震にも負けない 強い心をもって

 亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう〉

 詞の横にドレミの音階をふった。地震発生から2週間後だった。

 臼井は4歳からオルガンを習ったこともあって絶対音感があった。十代の時には“作詞作曲をして自分で歌うアイドル”を目指し、ヤマハのポピュラーミュージックコンテストに自作曲を提出したほどだった。教師になっても作曲を続け、震災の時点で子ども達のために150曲を制作していた。

 タイトルは「しあわせ運べるように」。今こそ、子ども達の「天使の歌声」が被災した街に必要だと感じた。

 初めてこの曲を子ども達に教えた時、子ども達は涙を流した。臼井は「私の命が助かったのは、この子ども達に曲を作る使命があったからでは」と思った。「今でもあの時の子ども達には感謝している」と話した。以後、同曲は震災復興の希望の歌として現在まで歌い継がれている。

 臼井にとって教職はまさに天職だったのではないか。しかし、教師になる気は無かったという。「私はシャイだったし。子どもはかわいかったですけどね。実習の時に教員の人間関係が複雑に見えたこともあった。教員免許を取っておけば将来、何かの役に立つかなと思ったくらいで」。実習を担当した教師にも「絶対にならない」と答えた。

 臼井は「なろうと思わなかった教師になり、作ろうと思わなかった曲を作って認められた」と人生の不思議さを語った。

 「しあわせ運べるように」が予想もしない形で教え子との再会をもたらしてくれたことがあった。阪神・淡路大震災の犠牲者を追悼する「KOBE ルミナリエ」20年目の開催時、「しあわせ運べるように」というブースが会場付近に設けられた。ブースの大スクリーンで合唱団が同曲を歌っている映像を流していた。

 臼井は「10日間くらいの期間中、たまたま私がそのブースに顔を出した日があったんです」と振り返った。関係者と話していると二十歳くらいの男性がやって来た。男性は「臼井先生」と声をかけた。「曲が聞こえる方向に来たらここにたどり着きました。もしかしたら臼井先生に会えるんちゃうかと思って」と照れ笑いを浮かべた。

 教え子だと分かった。懐かしかった。臼井は「ずっとここにいたわけじゃない。今日、今、たまたまいた。会えて良かった」とほほ笑んだ。男性は恩師と再会できたことが嬉しくてたちまち嗚咽を漏らした。「私との再会を喜んでくれてぶわーって泣き出してね。もう、本当にジーンと来た」。臼井の目が涙で光った。

 「しあわせ運べるように」の歌詞は碑に刻まれて「みなとのもり公園」(神戸市中央区)にたたずむ。臼井は「子ども達に、『先生が死んだらお墓は歌碑やで』って言ってるんです。何人か、お参りに来てくれるかな」。

 臼井は来年、定年を迎える。再任用は今のところ考えていない。「その後は災害を知らない子ども達にこの歌を伝えていきたい。被災地ではない場所の人たちが被災地に思いを寄せられるように」。教え子が歌碑にお参りに行くのはまだまだ先になりそうだ。

最終更新:1/17(金) 9:36
デイリースポーツ

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