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GOLD2020東京へ 人生を変えた車いすバスケ/富山

1/17(金) 19:51配信

チューリップテレビ

 東京オリンピック・パラリンピックに向けて注目アスリートを紹介するシリーズ。
 17日は車いすバスケットボールの日本代表で魚津市出身の岩井孝義(いわい・たかよし)選手です。
 支えてくれた家族のため、東京でのメダル獲得を目指します。

 車いすバスケットボール日本代表。
 岩井孝義、23歳。
 「目標は金メダルを取ることなので一日一日を無駄にせず。2020へ向けて頑張りたいと思ってます」(岩井選手)

 岩井は富山のクラブチームに所属。
 今でこそ日本代表選手ですが…。

 「球技は一番嫌いでした。バスケットをやったことがなかった」(岩井選手)

 現在、魚津市で母と妹と三人暮らし。
 車椅子バスケをやらせたのは母・幸子(さちこ)さんでした。
 幼い頃から笑顔がトレードマークだった岩井。
 しかし、小学6年生のとき小児がんと診断。
 脊髄の腫瘍の摘出手術を受けました。

 「手術終わって、お医者さんに足動きますかって言われて、動かしているつもりでも動いてなかったみたいで」(岩井選手)
 「どうして何でって、感じかな」(母)

 手術の後遺症で脚が動かず、腹筋と背筋の機能もほとんど失いました。
 中学2年生のときリハビリの一環で車いすバスケをはじめたものの…。

 「もともとスポーツが好きじゃないんでやりたくないって。パス練習して突き指したりして絶対いかないって」(岩井選手)

 幸子さんは息子がどんなに嫌がっても練習に連れていきました。

 「ちょっとだけやっていやになったっていうのはこれから生きていくうえでマイナスになるとおもうので…頑固として曲げませんでした」(母)

 競技を始めてから9年。
 今も母と一緒に体育館に通い続けています。
 嫌々はじめた車椅子バスケ。
 のめり込むきっかけになったのが…。
 日本代表でパラリンピックに3大会出場している宮島先輩の言葉でした。

 「お前も頑張ったらなれるよって…」(岩井選手)

 自分も頑張れば日本代表になれる。
 リハビリのための車いすバスケが一変。
 はじめて人生の目標ができ、死に物狂いで打ち込みました。

 「練習中はわからないんですけど終わったら激痛」(岩井選手)
 「結構やる気でる歌詞」(岩井選手)
 
 「次の自分になるためには自分が扉を開かないと成長できないって。東京があるのでそのチャンスは、めったにというか、もうこないかもしれないし、そこに挑戦できるチャンスを今僕持っているので、そこは逃したくないの、でやんなきゃなって感じです」(岩井選手)

 その努力が実を結び…
 「ナンバー26岩井孝義」(実況)

 今では東京パラリンピックへ向けた日本代表に欠かせない存在になりました。

 「支えてくれた方々に恩返しがしたい。とくに家族。目標にプラスアルファーになりそれができてまたさらに頑張れるようになった」(岩井選手)

 自分の時間を犠牲にして車椅子バスケに付き合ってくれた家族への恩返し。
 その思いが岩井をさらに強くします。
 笑顔を奪われた車いす生活。
 人生を変えた車いすバスケ。
 東京の舞台で最高の笑顔を家族に…。

 「男らしくなってきた。かっこいい」(母)
 「こうやってバスケできているのも家族のおかげだと思ってますし、その感謝の思いを東京の舞台でみせれたらと思う」(岩井選手)

チューリップテレビ

最終更新:1/17(金) 19:51
チューリップテレビ

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