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訪ねた「お地蔵さん」3000か所以上! ネットに所在地記録し続ける男性の思いとは

1/17(金) 16:00配信

まいどなニュース

 街を歩けば地蔵に出くわす。京都市内に無数にある「お地蔵さん」を一人でこつこつ訪ね、写真撮影。インターネットの地図上に所在地を記録する男性がいる。その数、3千カ所以上。6年以上かけて足で稼いだ労作なのである。もちろん無料公開。どんなに多くの人が利用したとしても、作者には一銭も入らない。なのに森篤さん(55)=京都市上京区=は今も貴重な休日を路傍散策に費やす。民衆信仰の形を探す旅は現在進行形。彼をそこまでかき立てるものとは何なのか。

【写真】ねえ、なんか嘘ついてない? ピノキオみたいに鼻が伸びているお地蔵さん

 お地蔵さんは動かない。不動の代名詞。そう思っていた。

 「新しく出現することもあるんです。京都ですから、家を新築する際に地面から出てきてまつられる。よその土地から引っ越してくる時に持ってくることも。山陰地方から持ってきたという例を聞いたこともあります」。長く地域で拝まれて、時を駆ける地蔵菩薩は、県境も越える。

 とはいえ、世界に冠たる高齢化大国ニッポン。その数は減りつつある。

 「最近は、家の方が亡くなって財産分与で土地を分割して処分する際に残せなくなって、やむなくお寺に納める例も聞きます」

 いつまでも、あると思うな親と金と、お地蔵さん。

 「調べ始めた頃に撮影したもので、今は残っていないものが結構あります。だから気づいた時に新しい情報を更新をしています」

 意外にはかない地蔵界。だからこそ貴重な森さんの網羅的記録に終わりはない。

 グーグルのマイマップで「京都のお地蔵さんmap ~西陣を中心に~」を森さんが公開したのは2015年。ページを開くと、行政区ごとに色分けされたお地蔵さんの所在地が地図上に表示される。見たい地点をクリックすると、写真とともに撮影日時や住所などが参照できる。

■SNSの話題に

 「そもそものきっかけはSNSの話題づくり。人づきあいがあまり得意ではないので、自分から発信する場としてフェイスブックを始めた時、一番親しみがあって、たくさんあるものは何だろうって考えました」

 仕事を終えての帰路。休日。徒歩や自転車で周辺を巡ると、普段は厳重に施錠した「ほこら」で守る場所もあれば、野ざらしで風雨にさらされ、顔の凹凸もほとんどないお地蔵さんも。場所によっては、毎年夏の地蔵盆で地域の子どもたちが色を塗り直す「化粧地蔵」が灰色の路上を彩っていた。石仏だけでなく、木像もあった。

 森さんが住む町内は、お地蔵さんを収蔵する「ほこら」もなく、厨子(ずし)に入ったお地蔵さんを年ごとに持ち回りで各家が守っていた。普段は各家庭でお供えをし、年に1、2回、開帳して近所の人々にお参りしてもらう。そんな形だった。

 次々と打ち破られる常識。中には、1995年の阪神大震災でお地蔵さんの頭が落ちてしまったが、そのおかげで町内では被害がなかったと語る人もいた。「身代わり」として地域の平穏に尽くす路傍の守り神。熱心な「お地蔵さん巡礼者」になっていった。

 13年にフェイスブックへの投稿を始めた。そのうち、備忘録のつもりで公開はせずにネットの地図上に記録を始めた。ある時、知り合いに地図を見せると面白がってくれた。要望に応え友人限定から徐々に公開範囲を広げた。

 「調査」はいたってシンプル。当てもなく地区を歩く。慣れるほどに「嗅覚」が発達していった。

 「この辺にありそうだなって感覚的に分かるようになっていきました。この辺はあんまり見つからないな。なんでだろうって思って古地図を調べてみると昔は畑ばかりで、なるほどと納得したり、逆にどんどん見つかる所は昔から小さな集落で、古い街道沿いだったりする」。路地をさまよいながら、呼び覚まされる土地の記憶。ひととき、日々の雑事から解放される。

 地図をネット公開し、世界に発信したことで「サミット」にも出席した。

 京都市内で15年に開かれた「お地蔵さまサミット」に展示で参加した。そこで出会った芸術家の依頼で、長崎県・対馬のお地蔵さんを調査するという機会にも恵まれた。「朝鮮通信使の影響で、京都や大阪の商人たちが移り住んだ地区があり、地蔵盆の風習が残っているようです。それまで出会うことがなかった研究者や芸術家と交流する貴重な機会をもらった」

 地蔵盆の風習が色濃く残る京都市内。お地蔵さんを対象にした大学の研究者による調査例は少なくない。ただ、個人でひたすら事例を集め、一覧的な情報を公開しているのは珍しいだろう。

 大きな戦災被害もなかった京都には歴史財産がごろごろある。過去へとつながる時空の割れ目がそこここに潜んでいる。作家の故赤瀬川原平さんや建築史家の藤森照信さん、イラストレーターの南伸坊さんらでつくる「路上観察学会」が1986年に、ここ京都の街をフィールドに選んだのは、まだまだ発見されていない風景が道ばたに転がっているからだろう。身近過ぎて、そこにあるのが当たり前。ことさら目を向けられないお地蔵さんの一覧地図は、京都の貴重な証言資料であり、京都観光にも欠かせない汗と涙の結晶である。

 「研究は民俗学など専門の方に任せるとして、私としては目と足で稼いで、できる限り写真に残して整理できればと思っています」

 森さんは花園大の福祉学科を卒業後、知的障害者が暮らす市内の施設で働いている。福祉とは何なのか。その問いに、現場で向き合ってきた。「利用者さんの喜怒哀楽に向き合う。個人では限界があるので自分の技術を磨きながら組織としてより良い生活を提供できるか考えてきました。まだまだ未熟者ですが…」

 お地蔵さんは語らない。そこにいる。ただそれだけ。「言葉を返してくれる訳ではないですが何とも癒やされる。日々の全てを見透かしているようで、自らを振り返らせてくれる」

 年を重ね、公私ともに忙しくなった今も月に2回ほどは休日に時間を作り、まだ手つかずの地域が残る郊外を歩く。一つとして同じ姿はない。この世で生きる喜び悲しみ切なさに寄り添う名もなき「路傍の仏様」は、たまらなく美しく、いとおしい。次は、どんな出会いがあるのだろう。

 「妻や子どもにも半ばあきれられてます」

 素朴で穏やか。控えめな「巡礼者」の立ち姿が一瞬、お地蔵さんに重なった。

(まいどなニュース/京都新聞・樺山 聡)

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最終更新:1/17(金) 18:16
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