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【主役と影武者】ACアシーカ/アストン マーティンDB MkIII 007が結ぶ2台 前編

1/18(土) 7:20配信

AUTOCAR JAPAN

007の原作者、イアン・フレミングの愛車

text:Greg Macleman(グレッグ・マクレマン)
photo:Olgun Kordal(オルガン・コーダル)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)
 
1964年に銀幕の世界へアストン マーティンDB5がデビューしてからというもの、アストン マーティンとジェームズ・ボンドは切っても切れない関係となった。DB5は映画と自動車というカルチャーを結びつけるのに一役買った。

【写真】ACアシーカ/アストン DB MkIII (19枚)

ロンドンの北にあるアストン マーティン創業の地、ニューポート・パグネルとジェームズ・ボンドとの結びつきはもう少し長い。007がイアン・フレミングの小説の世界だった時代にまで遡る。

ジェームズ・ボンドが登場する最も初期の作品、カジノ・ロワイヤルが出版されたのは1953年。フレミングが描いた主人公は、執筆者の人生を映し出してもいた。

ロンドン西部、イートンの町で士官学校時代を過ごし、第二次大戦中は英国海軍の情報部に所属。自動車への深い造詣も歳を重ねる中で培った。その知識は、1930年型ベントレー41/2リッター「ブロワー」の登場にも表れている。

ジェームズ・ボンドの移動手段として、本格的に自動車が描かれるようになったのは、1959年のゴールドフィンガーとなる。この小説が映画化され1964年に公開されると、ボンドが駆ったアストン マーティンはスター級の扱いを受けた。

小説の出版と映画の公開までには5年間の時間があったが、生みの親、イアン・フレミングがその頃に手に入れたクルマが興味深い。

主役級の注目を集めたアストン DB MkIII

自身の経験や知識をもとに、よりきらびやかで刺激的な世界として文章化したフレミング。ポルトガルの街、エストリルにあったカジノや、彼が愛したゴルフの表現などは良い例だろう。

ゴールドフィンガーの中でフレミングは、ロイヤル・セント・ジョージ・ゴルフクラブを描き、不朽の名場面を作り上げた。悪役、オーリック・ゴールドフィンガーとジェームズ・ボンドとの対決のシーンだ。

ちなみにゴールドフィンガーという名前は、当時の建築家、エルノ・ゴールドフィンガーから来ている。フレミングは彼の建築をかなり嫌っていたのだ。

ゴールドフィンガーの中で、フレミングがジェームズ・ボンドに乗らせたのは、アストン マーティンDB MkIIIなのはご存知の通り。ところが作品発表の数年後、イアン・フレミング自身は当時最も直接的なライバルだったといえる、ACアシーカをガレージに収めた。

DB MkIIIよりアシーカの方が登場は早かったが、アストン マーティンの血統をさかのぼれば、フランク・フィーリーがデザインした1950年のDB2へとたどり着く。実業家デヴィッド・ブラウンが経営者となった時代の、初めての市販車だ。

アストン マーティンDB2は、フレミングがゴールドフィンガーの執筆を始めた時点で変更を受けていた。1953年に登場したDB2/4は実用的な4シーターになり、エンジンもヴァンテージ版へと変更されている。

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最終更新:1/18(土) 7:20
AUTOCAR JAPAN

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