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「厚底シューズ禁止」は陸上の進化を止める暴挙! 哲学なき規制は選手とファンの信頼失う

1/19(日) 13:03配信

REAL SPORTS

「技術の革新」か、はたまた道具が勝負を決めてしまう「チート」なのか? 日本でも箱根駅伝で旋風を巻き起こした「NIKEのピンクシューズ」ことヴェイパーフライが議論を呼んでいる。すでに複数の報道機関が報じているように、世界陸連(ワールドアスレティックス)が、このシューズに関する調査、審議を行っており、今月末には何らかの発表があるという。一連の「厚底シューズ禁止」の議論は科学技術とスポーツの関係を見つめ直すきっかけにもなっている。
(文=小林信也、写真=KyodoNews)

道具革命とともに発展してきた陸上競技の歴史

厚底シューズがマラソンレースを席巻する中、世界陸連が「禁止する」との報道が流れた。

スポーツは、道具や器具の進化とともに発展してきた。科学技術の恩恵なしには成立しない競技さえある。そうしたスポーツ全体の流れを考えたら、カーボンプレートを内蔵した厚底シューズが禁止になる理由が見当たらない。

陸上競技は多くの競技の中で最も人間のシンプルな能力を競うスポーツといっていいだろう。それだけに、人の能力以外の助力を受けることへの抵抗感があるのかもしれない。だが、その陸上も道具の進化を歓迎し、道具革命とともに発展してきた競技だ。

例えば棒高跳。元来は木の棒で跳んでいた。当時は、最近のCMでも見られるような、木を真っすぐ立てた状態でよじ登る動作を加え、棒が倒れるタイミングでバーを越えるスタイルだったらしい。やがて日本選手は国内で入手しやすい竹を愛用した。しなりのよい竹を手に、日本選手は世界的にも活躍した。

『友情のメダル』で知られる1936年のベルリン五輪、銀メダルの西田修平、銅メダルの大江季雄が使っていたのも竹のポール。記録はいずれも4m25だった。
1952年ヘルシンキ五輪で6位入賞した沢田文吉の記録は4m20。4m台で優勝が争われ、「16フィート(4m87)の壁」は超えられないと思われた時代がしばらく続いた。実際、竹のポールで跳んだ最高は1942年に記録された4m77だという。その後、金属製のポールも試されたが、4m83しか跳べなかった。

劇的な変化が起こったのは1960年代に入ってまもなく、グラスファイバー製のポールが開発されてからだ。1962年に16フィートの壁が超えられ、1963年には5mを超えた。いま棒高跳のポールはさらに進化を遂げ、カーボンファイバーなど複合的な素材が使われている。これを陸上界は受け入れてきた。そして、6m台で優勝を争う時代になっている。

短距離スプリンターにとってはスパイクが何よりのパートナーだ。最近、アシックスが「ピン並みのグリップ力と軽量化」を両立させたピンのないスパイクを開発、これを履いた選手たちが好記録を出したことが話題になったが、それまでスプリンターにとって針状のピンの着いたスパイクはレースの必需品だった。
スパイクが、記録を向上させる目的であることは議論の余地はないだろう。スパイクが認められて、厚底カーボンプレートが禁止されるのは理に合わない。

歴史をひもとくと、スパイクにも一世を風靡したヒット商品がいくつかあった。代表的な一例は、アシックスが1997年に市販した『サイバーゼロ』。ベルトで足をきっちりフィットさせる斬新なアイディアで人気を得た。伊東浩司選手が日本記録10秒00(当時)を出したとき履いていたこともあり、国内の大会ではいまの厚底同様、多くのスプリンターがこれを使っていた時期がある。もちろん、サイバーゼロも禁止はされなかった。

この例を見るまでもなく、陸上界の記録が選手の実力、トレーニングの革新、シューズの改良によって更新されてきたのは疑いようのない事実だ。

東京五輪の会場となる新国立競技場には、モンド社のトラックが敷かれる。ソール・スポンサーとして、無償提供されるのだが、このモンド社製は『記録が出るトラック』とも呼ばれている。まさに記録製造を世界陸連も容認しているのだから、厚底シューズだけが禁じられるのはますます考えられない。

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最終更新:1/19(日) 14:40
REAL SPORTS

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