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鹿児島の名将・久保 克之名誉監督(鹿児島実業)が語った甲子園で勝てるチームの条件

1/19(日) 15:00配信

高校野球ドットコム

 鹿児島実を全国区の名門に育て上げた久保 克之さんが2002年夏に監督を勇退し、今年で18年になる。勇退後は総監督、現在は名誉監督として母校のグラウンドに足を運びつつ、大会があるときはNHK鹿児島放送局の解説者として球場で球児たちを見守る。

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 35年間の監督生活で夏12回、春7回の甲子園に導いた。1974年夏には準々決勝で東海大相模(神奈川)を延長15回で破って4強入りしたのを皮切りに、96年春には鹿児島勢初の選抜優勝に輝いた。現在までのところ、鹿児島で唯一甲子園制覇を経験した指導者である。野球は「実に奥が深くて魅力的」と語る名伯楽は、試合前にどんなゲームプラン、戦術を立てていたのだろうか。

 今回は相手を知ることの重要性と、野球の魅力について語っていただきました。

相手を知る

 近代野球は情報戦でもある。相手をどれだけ知っているかは、ときに勝敗を分けるポイントにもなりうる。久保さんがそのことを意識するようになったのは、正確には覚えていないが、九州高校野球の監督会ができた30年ほど前からだったのではないかと記憶している。

 九州全体のレベルアップを目指そうと監督会ができたことで、春秋の九州大会前には監督同士の懇親会が定期的に催され、指導者同士の交流が徐々に深まっていった。そんな中で「九州でも福岡、熊本あたりは、相手の情報分析が特に進んでいた」と感じた。実際に観戦したり、ビデオで録画した映像を投手、打者ごとに分析し、相手の特徴をつかんでから試合に臨むことが、全国で勝っている県では当たり前に取り入れられていることを知った。以来、鹿児島実でも細かな情報収集に取り組むようになった。

 久保さんが監督をしていた当時のデータは残っていなかったが、現役チームが春の県大会の対戦相手用にとっていたデータを見せてもらった。相手投手の各打者への配球パターンや球種、各打者が打った打球の方向などが詳細に記録されていた。取材に訪れた5月11日は、13日に招待野球で横浜(神奈川)と対戦する前だったが、春の神奈川大会の映像が届いていてパソコンで見ていた。

「こういった情報に頼りすぎるのは良くないですが…」と前置きしつつ「相手を知ることで覚悟が決まって、勝てる確信が生まれてくるのも確かです」という。厳しい練習で己を鍛え、綿密な情報収集で相手を知れば「百戦危うからず」の境地に達したのが96年のセンバツ優勝だった。

 エース下窪は、前年秋の九州大会で防御率0.27という成績を残しており、切れのあるスライダーを武器に抜群の安定感があった。長打力こそないが、個々の運動能力が高く「切れ味の鋭いカミソリのような野球ができるチームだった」。失策数は5試合で5、バントのサインは18回出して17回成功し、三振数は5試合21、1試合平均4.2個の少なさだった。決勝以外の4試合は全て2点差以内と下窪を中心にして守り勝った。「勝てる野球」の前に確実性の高い「負けない野球」を追求して結実した優勝といえる。

 準決勝の岡山城東戦が終わって、決勝の智辯和歌山戦までの間には、相手の試合のビデオを見て研究し、対策を練るミーティングをした。「私は夜中に一度目覚めてもう一度ビデオを見ました。おかげで寝不足でした」と苦笑する。それは、無欲無心、捨て身でぶつかってきた中で、監督30年目を迎える節目に初めて全国の頂点への挑戦権を得て初めて芽生えた「勝ちたい」という欲との戦いだったのかもしれない。

 自分のチームと相手の情報とを様々分析し、最終的には「3年生と2年生の違いがものをいう」と覚悟が決まった。当時の智辯和歌山のエース高塚 信幸(元近鉄)は140キロを超える直球を持つ好投手。下窪と甲乙つけがたい実力を持っていたが、学年は1つ下で、連戦の最後は経験で勝る3年生が勝つと信じることでいつもと同じ心境で試合に臨むことができた。結果は6対3で勝利し、鹿児島に初めて紫紺の優勝旗をもたらすことができた。

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最終更新:1/19(日) 15:00
高校野球ドットコム

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