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エリート軍人が直面した壁の崩れる瞬間  「国が消えた」苦い思い今も ベルリンの壁崩壊30年(1)

1/20(月) 7:12配信

47NEWS

 東ドイツを率いる社会主義統一党(共産党)の党員だった父の知人にあこがれ、16歳で入党した。高校を出て国境警備隊の士官学校で学び、冷戦のまっただ中、東西ドイツが対峙(たいじ)する国境線に立った。重要任務は国民の西ドイツへの越境を止めることで、自らの手で逃亡者を捕らえた。兵士の銃撃による死者も出ていた。

 東西ドイツの国境線は全長約1400キロ。49年の東ドイツ建国以来、自由を求めて西ドイツに逃げる国民は後を絶たなかった。東ドイツは国境を障害物で固め、61年には最後に残った西ベルリンを取り囲む長さ約155キロの壁を建設。全土で約5万人の国境警備隊兵士が日夜、目を光らせた。東ドイツ時代の約40年間、東西国境とベルリンの壁で命を落とした人は事故を含め400人を超す。

 バニシュ氏にとって言葉や文化を共有する西ドイツの国民は敵と思えなかったが、政治体制は「敵」だった。旧ソ連の軍大学にも留学し、軍務に疑念を抱いたことはなかった。

 だが、ソ連は80年代末、改革路線を進め、東ドイツでも民主化要求の大規模デモが起きていた。そしてあの晩、体制を支えた壁が不意に崩れた。翌90年には西ドイツにのみ込まれる形で東ドイツ自体が消滅し、バニシュ氏は妻と2人の子を抱える失業者になった。誇りだった軍服を着ることはもうない。人格の一部を奪われたようで「精神的に打ちのめされた」。

 ▽望んでいた社会、なぜ消えた

 かつての「敵国」の社会制度の下で、第二の人生が始まった。若い世代は新たな時代に対応できたが、中高年の元同僚は満足のいく収入を得るのに苦労していた。バニシュ氏は得意のロシア語を使ってロシア人相手の商売を始めたが失敗。その後、東ドイツになかった野生動物公園の立ち上げを思い付き、経営を学んで運営を軌道に乗せた。

 ただ、東の地域は今も西との経済格差を埋められずにいる。東の給与水準は西の8割余り。失業率も西の4パーセント台に比べ6パーセント台だ。就職機会や好待遇を求めて若者や医師、看護師ら専門職が次々と西に流出する。最近の調査では東の半数以上の人が自らを「2級市民」と感じると答えた。

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最終更新:1/21(火) 15:12
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