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[寄稿] 日本の領土・主権展示館の集団催眠

1/21(火) 12:23配信

ハンギョレ新聞

 日本政府が20日、新しい領土・主権展示館の開館式を開き、21日に一般公開する。領土・主権展示館は、日本政府が2018年1月に独島(日本名「竹島」)など領土に関する世論拡散を目的に設立した施設だ。展示館は東京都内にあったが、観覧客はそれほど多くなかった。そのため、関係者たちは展示館が建物の地下の目立たないところにあり、展示スペースも狭いと指摘してきた。

 日本政府は、これらを考慮してか、展示館を人々が多く訪れる国会や行政省庁が密集する地域に移転した。展示スペースも地上に設け、規模も約7倍(面積673.17平方メートル)に拡張した。以前の展示館では独島と尖閣諸島(中国名「釣魚島」)関連資料を展示したが、新しい展示館では南クリル列島関連資料も加える。関係者らは、展示館が同じ建物にある「日本国際問題研究所」(JIIA)と連携し、研究所の研究成果や資料を積極的に活用できることを望んでいる。

 領土・主権展示館を運営する日本内閣官房の領土・主権対策企画調整室では、領土問題担当長官の下、国内外の世論拡散のために設置された領土および広報関連専門家集団の助言も受け、領土関連研究調査および教育・広報事業を推進している。領土・主権展示館もこのような支援の中で運営されている。特に新しい展示館では、学生など若者に世論を広めるため、動画や体験施設などを強化した。

 しかし、領土・主権展示館の展示資料の中には、過去、日本政府が「独島は日本の領土ではないこと」を明確にした1877年の太政官指令などは見当たらない。もっぱら自国の立場に有利と思われる資料だけを展示している。その内容を見ると、主に1905年、日本の独島編入決定後の資料や1951年サンフランシスコ講和条約締結後の資料だ。

 しかし、その資料らを覆っている薄皮を剥くと、簡単に歴史の真実が見えてくる。日本は1905年、日露戦争中に独島を密かに自国の領土に不法編入し、戦争に利用するため見張り小屋を立てた。独島は日本海軍の重要な戦略拠点だった。戦争が終わった後、日本のマスコミが独島を日露戦争の記念名所として紹介したこともあった。そのような中、日本の漁業従事者たちは独島で独占的漁業権を主張し、アシカ漁を行った。

 日本人は19世紀末の朝鮮の情勢が不安定だった隙を狙って、鬱陵島(ウルルンド)に不法移住し、暴力を振るって1902年には日本人警察まで駐留させた。すでに自分の家のように鬱陵島に出入りしていた彼らは、なりふり構わず独島をほしいままにした。日本は、このような歴史には目をつぶり、1905年以来、独島をまるで平和かつ実効的に支配したかのように、歴史をねつ造している。

 一方、日本は1945年の無条件降伏宣言で、朝鮮半島とその周辺島嶼から追い出された。1945年以来日本を統治した連合国占領当局も、独島を日本の統治領域から除外した。韓国の漁民たちは相変わらず独島を実質的に利用、管理した。ところが1952年、日本側の漁業限界線であるマッカーサー・ラインが廃止される運命になったため、韓国政府は急遽李承晩(イ・スンマン)ラインを設定した。李承晩ラインは朝鮮戦争という緊急な状況で韓国の領域を保全するために取った自衛権的処置だった。

 日本は李承晩ラインの設定などを挙げ、韓国が独島を不法占拠したと主張している。ところが、独島は李承晩ラインの宣言で韓国が占有を始めたのではなく、既にその前から領有してきた韓国の領土だ。むしろ日本が朝鮮戦争という混乱した隙を狙って海上保安庁の巡視船を送って韓国の漁民を追い出し、独島侵奪を試みる不法行為を働いた。幸い、鬱陵島住民らが独島義勇守備隊を組織し警備するなどの活動で独島を守ることができた。

 日本の領土・主権展示館はこうした歴史は無視し、自国に有利になるように脚色した内容だけを展示している。まさに領土・主権展示館は歴史の集団的催眠を助長する施設だ。新しい展示館の開館は、韓日関係はもとより、日本国民にとっても不幸なことだ。領土・主権展示館は当然閉館されなければならない。

ホン・ソングン北東アジア歴史財団研究委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)

最終更新:1/21(火) 21:28
ハンギョレ新聞

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