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「何度も潰されかけた…」勝俣州和が明かす“TV界のタブー”打ち破った過去

1/22(水) 8:40配信

オリコン

 30年以上に渡り、バラエティ番組の第一線で活躍し続けるタレント・勝俣州和。どんな大物タレントとも分け隔てなく絡める汎用性の高さから、“企画成立屋”の異名を誇るが、いることが当たり前すぎてしまうとその重要性が希薄にもなる。そういう意味では過小評価されているタレントと言えるだろう。そんな彼が、90年代のバラエティ業界でタブーとされてきた、とんねるず、ウッチャンナンチャン、ダウンタウンら大物芸人と分け隔てなく共演するという“免罪符”を如何にして勝ち取ったのか? じっくり話を聞いた。

【貴重写真あり】実はアイドルだった…勝俣が所属した伝説のグループCHA-CHA

■欽ちゃんからの洗礼! 週5日、毎日12時間の稽古で“1番・セカンド勝俣”を確立

――超が付くほどのテレビっ子だった勝俣さん。一世風靡のメンバーとしてオーディションに合格後、萩本欽一プロデュースによりアイドルグループ・CHA-CHAとして人気を博しました。今の若い世代には想像が出来ないでしょうけど、当時のCHA-CHAは“喋れるアイドル”を確立し、後のSMAP以降のアイドルたちにも多大な影響を及ぼしました。その生みの親である萩本欽一さんからは具体的にどのような洗礼を受けたのでしょうか?
【勝俣州和】「とにかく手を挙げろ。何も無くても手を挙げろ」。これが僕に課せられたことでした。とにかく最初にかき回せと。1時間の番組を作るのに、週5日間、毎日12時間の稽古でしたから。週1回の放送のためにここまで時間を割いてましたから。だから、自ずと鍛えれますよね。出来なくて泣くヤツもいたけど、僕は「なんで泣くんだろう? テレビ出てこんな楽しいのに」って思ってました。

――辛いなんて微塵にも感じなかったと。
【勝俣州和】辛いとは全く思わなかったですね! こんな楽しいテレビという世界で遊ばせてくれるのに!って(笑)。辛いと感じた子は“稽古”だと思ってしまう。でも僕は本番までの“練習”として考えていたんですよ。欽ちゃんがノックをしてくれるなんて、そんなの夢のような時間でしたよ! “1番セカンド・勝俣”じゃないけど、とにかく打席に立って振って来いと。でも、見逃しの三振だけはしちゃいけない。とにかく当てて塁に出るということを欽ちゃんに仕込まれましたから。“面白い、面白くない”ではないんですよ。そんなことはどうでもいいから、とにかくバットを振れと(笑)。

――そこから徐々に信頼と打率を上げていき、レギュラーポジションを勝ち取っていくわけですね。
【勝俣州和】そうですね。で、とんねるずなんかと共演するようになってくると、打順にも変化が生じてきて。あの人たちは常にクリーンナップを打つような強打者なので、そんな化け物と共演するようになって、僕自身も徐々にホームランが打てるようになってきた。なぜなら彼らが教科書のようにホームランの打ち方を間近で見せてくれたからなんです。

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最終更新:1/25(土) 4:25
オリコン

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