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【特集】ハンセン病元患者と家族の57年間 「繋がり取り戻したい」と動き出した男性の想い

1/22(水) 15:46配信

MBSニュース

長年、差別と偏見に苦しみ続けたハンセン病の元患者と家族。国は元患者の“家族”についての被害を認め、2020年1月末から補償金の支払いを始めます。補償をきっかけに断絶された家族との繋がりを取り戻そうとする元患者の男性を取材しました。

68年前に突然隔離「一生親にもきょうだいにも会えないし、友達にも会えない」

山城清重さん(77)。ハンセン病の元患者です。差別と偏見を無くすため、2018年の秋から実名を公表しています。山城さんは11人きょうだいの7男として生まれました。今から68年前のある日、岡山県の島にある療養所「長島愛生園」に突然、隔離されました。そこで先に入所していた兄の光正さんにその理由を知らされます。

『お前はハンセン病で、一生親にもきょうだいにも会えない。友達にも会えない。』(兄 光正さん)

1952年の当時、ハンセン病は感染力が強いという誤った認識の下、患者は全員隔離するという政策を国はとっていました。戦後、薬で治る病気となりましたが、国は方針転換をできないまま1996年まで隔離政策を続け、差別と偏見が助長されました。

隔離された時、山城さんはまだ10歳でした。家族に会いたいと願い続けましたが、誰も来てくれませんでした。

「絶望感や、絶望感や。子どもながらの知恵で、(家族に)一生会えないと思うだけ。(兄に)聞かされた時から、インプットされると忘れられない。」(山城清重さん)

山城さんが療養所を出たのは19歳の時でした。ハンセン病への差別と偏見が根強い中、家族に迷惑をかけたくないと故郷の島根県には帰らず、関西のパチンコ店で43年間働きました。人と深くかかわることを避け、結婚も諦め、医者すら信用できず、1人で生きてきました。

「隠すことだけ。隠れて人生を送ることだけ。その時は人をまだ疑っている時やな。裏もあれば表もあるという感覚。いつ人間裏切るか分からないし。」(山城清重さん)

国が隔離政策の過ち認め、謝罪し補償 変わり始める「家族」への思い

山城さんの心境が変わったのは2001年。国が約90年続けた隔離政策を過ちだったと認め、ハンセン病の元患者に謝罪し、補償したのです。さらに2019年11月には、ハンセン病元患者の家族の被害に対して補償する法律が成立。国は元患者の親・子・配偶者に180万円、兄弟姉妹・おい・孫などには最大130万円を補償することになりました。支給は2020年1月末から始まり、対象は2万人~3万人の見込みですが、現時点で補償対象として認定されているのは436人です。

これまでの過程で、ハンセン病元患者だけでなく家族にも強い偏見と差別があったことが明らかになりました。

【「ハンセン病家族訴訟 原告からのメッセージ」より】
『父がハンセン病だと分かった途端、(夫と)離婚することになってしまいました。』(30代女性)
『村八分にあい、毎日泣いて暮らしました。』(80代女性)
『僕はいじめを受けていました。』(20代男性)

連絡を絶っていた家族も、自分の病気のせいで辛い思いをしていたのかもしれない。山城さんの思いも変わり始めました。そんな折、2019年12月に家族補償の申請書が届きました。

「(家族を)恨むこと自体が間違っている。家族もきょうだいも被害を被っている。色々なことを考えた。」(山城清重さん)

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最終更新:1/23(木) 10:13
MBSニュース

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