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加藤典洋という唯一無二の批評家、晩年の原点回帰―加藤 典洋『大きな字で書くこと』橋爪 大三郎による書評

1/23(木) 6:00配信

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◆寂寥感帯びた晩年の原点回帰

二○一九年五月に急逝した批評家加藤典洋氏のエッセイ集。一七年一月から亡くなるまで雑誌に連載されていた。

折々に印象深い人びとを、加藤氏は順に紹介していく。仏文学の大学院をすぐ中退した斎藤くん。いつまでも助教授にならない森本さん。文人は用済みだと大学を辞めた寺田透先生。才能あるが欠落も抱える孤独な個性らに、加藤氏は激しく共振する。傷つき孤立し、同じ寂しい心象風景に佇(たたず)んでいるのだ。

連載のうち複数回に及ぶテーマは「父」「中原中也」「私のこと」の三つだ。加藤氏の父親は特高の警察官で、山奥の学校で教えていた無教会派のクリスチャンを、治安維持法で検挙した。これが許せず加藤氏は父と衝突し、それが尾をひく。中也は、文章が読めなかった時期の加藤氏が唯一読めた作家だ。渾身の中也論を書き上げ、航空便で送った原稿が紛失した。「私のこと」は挫折と喪失の記憶。幼稚園入試に落ち、悪ガキと一緒に糞尿のついた棒を振り回して園児を追いかけた。小学校では転校組で、いじめられた。無期限ストが解除されず、本郷まで行っても≪胃がきりきりと痛み≫下宿に戻った。商業雑誌に書いた最初の原稿を、編集者がなくしてしまった。大学院に二度、出版社もみな落ちて国会図書館に就職した。『敗戦後論』を書いたら≪総スカンを食い、数年間、さみしい思いをした。≫加藤氏の芯には純な幼児がいて、世界とまっすぐ向き合う。しばしば周囲と摩擦をうみ、本人も辛い思いをする。

批評家・加藤氏は最初、小説の書き手だった。≪君の本質はそれ/小説を書いたこと/でもその後書きつげなかったこと/そのことから多くのものが生まれた≫(「僕の本質」)。入院中、加藤氏は詩を沢山(たくさん)書いた。どれもよい詩だ。そのひとつが巻頭のこの詩である。小説をやめ批評へと向かった加藤氏は、どんな世界を拓(ひら)いたのか。

「大きな字で書くこと」は少年時代の習慣だった。大人になってから、小さな原稿用紙に小さな字で書いた。≪メンドー≫で≪こみいった問題≫を書くうちに、≪鍋の料理が煮詰まってくるように、意味が濃くなってきた≫。≪もういちど…シンプルに、ものごととつきあってみたい≫。「大きな字」で、加藤氏は原点に戻ろうとする。

連載は入院のだいぶ前、一七年一月に始まった。だがこの寂寥感は何だろう。原点に戻るとは、かけがえのない記憶と順に別れを告げることなのか。加藤氏にとって最も重いのは、やはり父親である。加藤氏は戦後の生まれ。戦後にコミットする。文学はもちろん、政治や経済や時代状況を批評で論ずる。だが戦後という時代を正当化するのはむずかしい。父親は戦死者(ゴジラ)として南海から上陸し、天皇の戦争責任としてのしかかり、九条とアメリカの問題として影を落とす。戦後へと続く、日本近代の連続性の象徴が父親である。その連続性を忘れた戦後民主主義や戦後知識人は、裸の王様だ。加藤氏は幼児の率直さで、王様は裸だ!と叫ぶ。当然、物議をかもす。加藤氏の矜持も孤独も、批評家としてのこの勇気あるスタンスに由来する。加藤典洋という唯一無二の批評家と、同時代に生きて触れ合う時間を持ったことを、私は幸せに、誇りに思う。

連載は中断し、仕事も途切れた。もっと読みたくても叶わない。それでも加藤氏はもう十分すぎるほど仕事を残してくれた、命を削って。後に続く人びとはこの仕事を土台に、前へ進め。加藤氏はさみしがり屋だ。独りにしてはいけない。

[書き手] 橋爪 大三郎
社会学者。
1948年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。執筆活動を経て、1989年より東工大に勤務。現在、東京工業大学名誉教授。
著書に『仏教の言説戦略』(勁草書房)、『世界がわかる宗教社会学入門』(ちくま文庫)、『はじめての構造主義』(講談社現代新書)、『社会の不思議』(朝日出版社)など多数。近著に『裁判員の教科書』(ミネルヴァ書房)、『はじめての言語ゲーム』(講談社)がある。

[書籍情報]『大きな字で書くこと』
著者:加藤 典洋 / 出版社:岩波書店 / 発売日:2019年11月20日 / ISBN:4000613731

毎日新聞 2020年1月12日掲載

橋爪 大三郎

最終更新:1/23(木) 6:00
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