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「戦闘機 合体させよう!」なぜアメリカはそう考えたのか? F-82「ツインマスタング」

1/23(木) 16:06配信

乗りものニュース

双子のマスタング、「ツインマスタング」誕生

 飛行機の世界では、胴体がふたつある機体のことを双胴機といい、なかでも単胴機をふたつ繋げてひとつの機体に仕上げたものを「双子機」と呼びますが、なぜそのようなものを作ったのでしょうか。

【写真】まさにニコイチ。原型P-51「マスタング」と並んで飛ぶF-82「ツインマスタング」

 双子機は、特に既存機を流用して開発した場合、比較的簡単な改修で搭載量や航続距離を向上させることが可能だったため、軍用タイプは第2次世界大戦中、各国で実機が製作され、ドイツとアメリカでは正式採用にまで至っています。

 しかし、ドイツのものはグライダー曳航用に開発したもので、ほとんど使用されませんでした。一方、アメリカのF-82「ツインマスタング」は戦闘機として朝鮮戦争にも投入されました。

 同機は、まさに双子が手をつないでいるような外観で、機体の中心線から右と左でそっくりの形をしています。操縦席もふたつあり、パイロット2名が乗り込みました。

 そもそもF-82「ツインマスタング」の原型は、P-51「マスタング」戦闘機です。この戦闘機は「第2次世界大戦中の最優秀戦闘機」といわれることもあるほどの高性能機で、1940(昭和15)年10月26日に初飛行すると、1942(昭和17)年から本格運用が始まり、わずか3年ほどのあいだに約1万7000機が生産され、大戦後も朝鮮戦争などに投入されています。

 P-51は高い戦闘能力と優れた航続力を持っていたため、B-17やB-24、B-29など長距離戦略爆撃機の護衛機として用いられました。しかし単座ゆえに、パイロットひとりで長時間にわたり操縦し続けなくてはならず、そのうえで敵地上空で戦闘して帰ってくるのは、かなりの負担でした。

 また、すでにB-29の後継となる新型の戦略爆撃機が計画中で、それはB-29以上に長い航続距離が要求されていたことから、もうひとり航法士を兼ねたパイロットが乗り込み、交互に操縦可能な複座の護衛戦闘機が求められたのです。

簡単に作れるかと思いきや、ほぼゼロからの設計

 アメリカ陸軍においてこうした要望が挙がる一方、偶然にもノースアメリカン社では1943(昭和18)年の時点でP-51「マスタング」を2機合体させた双発複座機のプランを検討していました。両者の思惑がうまく合致したことで、こうしてF-82の開発は始まりました。

 とはいえ、ベースが優秀機だからといっても単純に2機つなげただけとはいかず、胴体後部や垂直尾翼などは大幅に改修され、エンジンも左右で回転方向を逆にしており、設計はほとんどやり直しに近かったそうです。ただし、そこまで大幅に手を加えたからこそ飛行機として成功したともいえます。

 試行錯誤の末、F-82「ツインマスタング」の試作初号機は、第2次世界大戦末期の1945(昭和20)年6月15日に初飛行しました。ところが、この時点ですでにドイツは敗北しており、この2か月後には日本も降伏したため、F-82は必要がなくなり、予定していた生産のほとんどがキャンセルになりました。しかしB-29の後継として、より長距離を飛ぶことが可能なB-36戦略爆撃機の試作機が1946(昭和21)年8月8日に初飛行すると、これを護衛するための戦闘機としてF-82「ツインマスタング」の生産も再開されます。

 またF-82はエンジンが2基あり、P-51と比べて搭載量が多く、なおかつパイロットも2名いることでレーダーを搭載するのにも最適として、主翼中央にレーダードームを装備した夜間戦闘機型も開発、量産されました。

 当時のレーダーは大型で、しかも操作のほとんどが手動で手のかかるものでした。そのためパイロットがひとりしかいない単座戦闘機に装備すると、その負担は大きく、「腕が3本必要」と揶揄されるほどでした。

 第2次世界大戦中、すでにアメリカは3人乗りでレーダー搭載のP-61「ブラックウィドウ」夜間戦闘機を実用化していましたが、大型のため鈍重で、大戦後は旧式化しており、高性能な次世代機が必要とされていました。

 そこでP-51「マスタング」譲りの優れた戦闘能力と、レーダードームを装備可能な余裕ある搭載力、そして複座機として片方のパイロットにレーダー操作員を兼務させることが可能なF-82は、夜間戦闘機にも転用されることになったのです。

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最終更新:1/24(金) 12:42
乗りものニュース

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