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【ラグビー】長谷川流を知る田村義和スクラムコーチ。新生サンウルブズで「押しに行きます」。

1/24(金) 12:56配信

ラグビーリパブリック(ラグビーマガジン)

 1月10日。国際リーグのスーパーラグビーへ日本から挑むサンウルブズが、千葉での今季最初のキャンプを終えた午後のことだ。

「やんなきゃいけないからって、もう4回、やったっす。直弥さんの考えもあります。予定通りの回数が、4回です。やっぱりいろんなところから集まるし考え方が違うから……」

 都内ホテルで話をしたのは、田村義和。今季、このクラブでスクラムコーチを任された41歳だ。FWが8対8で組み合うプレーの起点は、選手間のつながりやシステムの共有が肝。「直弥さん」こと大久保直弥ヘッドコーチもその重要性を知るからこそ、計5日間のキャンプで田村のスクラム練習が4度もおこなわれたのだ。

 1月25日には福岡・ミクニワールドスタジアム北九州でプレシーズンマッチ(対 チャレンジバーバリアンズ)が、2月1日には同・レベルファイブスタジアムでレベルズとの開幕戦がある。

 国内最高峰のトップリーグでプレーする選手が現状で4名しかチャレンジしていないのは寂しい気がするものの、いまいるメンバーと強いパックを作る自信があると田村は言う。穏やかな口調に、決意をにじませる。

「個人的には、押しに行きます。行けるんじゃないかなぁ、と。僕の考え方が正しいかどうか、じゃなく、あの人たち(現有戦力)は行けると思います。無名な人も多いですが、まとまって、同じ方向を見て行けば、おもしろくなる。まじめな人も多いし」

 苦労人とも、異色のキャリアの持ち主とも呼ばれる。

 地元・青森の弘前実業高では写真部に所属し、1997年入隊の習志野自衛隊でラグビーを始めた。大型PRとして頭角を現す。

 プロ選手になったのは2003年で、以後、釜石シーウェイブスで2季、セコムで4季、サントリーフーズで1季、プレーした。セコムとサントリーフーズを離れたのは、チームが活動規模を見直したからだった。

 転機が訪れたのは2010年。トップリーグのヤマハからラブコールを受けたのだ。この頃のヤマハは一時的なチーム縮小を余儀なくされていて、「日本人選手は原則社員のみ」と打ち出していた。

 安定的な立場でラグビーをしたかった当時の田村にとっては、願ったり叶ったりだった。

 さらに移籍1年目になんとかトップリーグ残留を決めると、翌年には新監督の清宮克幸(現日本協会副会長)、元日本代表PRでFWコーチの長谷川慎(現日本代表スクラムコーチ兼ヤマハアシスタントコーチ)と邂逅(かいこう)。特に慎さんこと長谷川からは、ジャパンをワールドカップ8強入りに導く8人一体型のパックを体得した。

 2014年度には日本選手権で頂点に立ち、2017年まで現役でプレーできた。引退後はヤマハのコーチとして長谷川流のスクラムを継承する。

 ワールドカップイヤーの8月には、自ら育てた若手とともに北海道・網走へ渡る。日本代表候補合宿へ参加し、稲垣啓太、具智元らジャパン勢と本気のスクラムセッションを実施。何本も押した。

「相手は代表。生半可な気持ちではいけない。行かなきゃ、やられる」

 やがて日本代表のFW陣は、アイルランド代表などの強豪に組み勝つ。長谷川は「しっかり組むことが大事」と、古巣との再会で原点に立ち戻れたと述懐する。

 ワールドカップ日本大会が国民に広く支持されるなか、田村もさらなるターニングポイントを迎えられた。ヤマハを介し、サンウルブズのオファーを受けたのだ。

 舞台は、世界最高峰とも言われるスーパーラグビーだ。「プレッシャーがありますけど、今後コーチをずっとやるか、ラグビー業界にいるかどうかにかかわらず、いい経験になる」と決断し、現在に至る。
 
 軸に据えるのは、2017、18年にはサンウルブズも教えた長谷川のスタイル。長谷川はかねて、ヤマハや日本代表のスクラムを「コアの短い日本に合う」ものとしていた。

「全部が全部、そうじゃないですけど、基本的な考え方はそういうふうになるのかな。僕、それしか知らないので」

 ただし長谷川がいた頃と違い、いまのサンウルブズには初顔合わせの外国人選手が多い。そのため「僕や日本人選手の感覚(にある)ディテールとかを、押し付けるようにはしたくない」と田村。選手たちとは対話を経たうえで、最終的に同じ方向を見られればいい。

「『こうしなきゃいけない!』はよそうかなとイメージしていましたが、実際にその通り(そうしたほうがよいと感じた)」

 日頃から連絡を取り合う長谷川からは、サンウルブズでの月間、週間スケジュールの立て方、長時間移動に伴う時差の存在について助言を受けている。さらに前向きな言葉で、背中を押される。

「根詰めないで、楽しんでやれ」

 キャンプ中は指揮官の大久保、コーチングコーディネーターで以前日本代表にも携わった沢木敬介という「テレビの(なかの)人」から練習のマネジメントについてのノウハウを伝授される。選手の成長を促しながら、自らの成長も実感している。

 改めて、全てのきっかけとなったのは2010年のヤマハ入りだ。田村が同部から誘われたのは、在籍していた韓国人PRが急遽退団したからだと本人は聞かされている。

 だから、いまになって笑う。

「その時の韓国人の方には、足を向けて寝らんないです」

 全ての巡り合わせに感謝し、チャレンジングな日々を楽しむ。

(文:向 風見也)

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